代表ブログ

人はなぜ物語を求めるのか

2026年5月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日ご紹介した「ジブンの世界はジンブンでできている」では、STEAM教育全盛で肩身の狭い思いをしている「人文(ジンブン)」教育の本質的な魅力と必要性を再確認することができたのですが、その中で特に「フィクション」を研究対象としている岡田進之介氏のセッションにおいて「物語」に対する興味を掻き立てられました。

そのセッションにおいて「物語」がいかなるものなのかに言及されている部分を要約引用してみます。

「『物語』とは文が宇賀発明されるはるか以前から人類が情報を共有するために口承してきたその『形式』のことです。そのような形式をとっているのは、それが人類にとって生物学的に認識しやすい形式だからです。そのため、何も知らない人に対して何かを説明する際にはこの形式を上手に用いないとうまく伝わらないのです。」

そこでその分野を掘り下げて理解するために「人はなぜ物語を求めるのか」という本を読むことにしました。

以下、私たち人間にとっての「物語」がいかなるものなのか、その理解をもう少し深められるよう本書の内容を要約してみます。

「物語(ストーリー)」を語るということは、「できごとの前」と「できごとの後」という前後関係を述べること、すなわち時間の流れの中で世界を把握することができるような枠組み(形式)で語るということです。

ただ、人間はストーリー以外にも世界を把握する枠組みを持っています。例えばアナロジー(類推:たとえ話)で、これは似たものと比べることによって世界を把握しようとする枠組みです。

確かに、話が上手な人はこの二つの枠組みを合わせ技で駆使することに長じているなあと思います。

とはいえ、私たちは圧倒的に「物語(ストーリー)」の枠組みで世界を把握することに慣れきっているので、話の中心は自然と「物語(ストーリー)」に関する議論になってしまいますが、この物語の枠組みを成立させているいわば背骨の部分が「前後関係(時間の流れ)」であることはすでに述べた通りです。

具体的には「童話」や「小説」などの私たちがいわゆる「物語」として認識しているもの以外にも、例えば「履歴書」なども立派な物語の範疇にあるもので、明らかに「前後関係(時間の流れ)」というつながりで成立しています。

また、そのつながりとしてもう一つ「因果関係(理由や原因)」を加えることができます。

そしてこの因果関係が加わると、つながり方がさらに滑らかになり、「物語(ストーリー)」がより物語らしくなるのです。

ただし、これは必ずしも私たちにとって絶対的に「良い」ものとは言えない側面も持っています。

それは、「前後関係(時間の流れ)」が客観的で普遍的な流れであるのに対して、「因果関係(理由や原因)」は文化や文脈に影響される主観的な流れてであるからです。

例えば、「雨ごいをした。雨が降った。」という時系列に並べただけでも、物語として成立しますが、「雨ごいをしたから雨が降った。」とそこに理由や原因を加えると、圧倒的に物語らしくなる一方で、これはあくまでも「呪術的なことを信じる」ような文化・文脈背景がなければ、その説得力は弱くなることからあくまで主観的にすぎず、そのつながりが普遍的に理解されるとは言えません。

さらにもう一つ言えば、滑らかすぎる(分かりやすすぎる)物語(例えば小説)は「軽薄」だと捉えられがちですし、単純すぎる物語(考察)は判断を誤らせる可能性も高まるからです。(私の「小説嫌い」の理由に直結する実に耳の痛い話があります。(笑))

次の著者の指摘は特に私を、「はっ」としました。

「安心して生きられるような『安定した世界把握』それ自体が少し長い目で見ると危険をはらんでいることもある。『説明が正しいかどうか』よりも僕たちはともすると『説明があるかどうか』の方を重視してしまう。ストーリーでそこを強引に説明してしまうことがあるのです。説明とは、そのままでは未知にとどまってしまうものを分解して、自分がすでに知っているものの集合体へと帰着させてしまうということです。本書の説明も『滑らかで分かりやすい』と感じる部分があったら、どうぞ用心してください。」

ここで少し自分に当てはめて考えてみました。

私は自らが主宰する「文法講座」において、すべての文法項目についての「なぜ?」に必ず理由をつけているのですが、それは受講生の頭の中に滑らかなストーリーを作ってあげて理解を促進し、記憶にとどめやすくするためです。

本書を読んで、そこに私自身が無意識のうちに「物語(ストーリー)」の枠組みを組み込んでいたことに気づかされたのです。

そしてまた同時にもう一つ気づかされました。

私自身はこれらの「理由」を学生時代にシンプルに与えられることはなかったからこそ、自ら悩み、調べ、それでも分からなければ想像し、最終的になんとかその「理由」にたどり着けたわけで、この大変なプロセス自体に大きな価値があったことにです。

つまり、私は自分がかつて滑らかに(分かりやすく)その答えを与えられることがなかったからこそ、私によってシンプルに答えを与えられる受講生はその経験を得ることができないということでもあるのではないかと。

少々カッコつけてみましたが、私のノウハウと言ってもそれは所詮先人たちの研究あってのものに過ぎず、それこそが教育の価値でもあるわけで、一人でも多くの方に私のノウハウを滑らかに盗んでいただければ幸いです。

何はともあれ、本書は心から出会えて良かったと思える「良書中の良書」でした。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆