仕事をしたつもり
2024年1月21日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
だいぶ前になりますが、「誰のために何のために」という記事を書いて、日本人の多くが誰も欲しがらない(価値のない)ものに労働力を傾けることに疑問を持たないことこそが、日本人の生産性の低さの原因であるという指摘を取り上げました。
今回は、そのことをもう少し掘り下げて理解するためにちょうどいい本を見つけましたのでご紹介します。
それは2011年の出版の結構古いものですが、「仕事をしたつもり」というドキッとさせられる一冊です。
本書によれば、技術の進歩で家事は1976年からの30年で14%減っているようです。
では、(会社での)仕事はどうかと言えば、コピー、ファックス、ビジネスフォン、PC、プリンターなどの普及で1990年代中盤までは確かに家事と同じように減ってきたようなのですが、その後の総労働時間は0.5%ほど増加しており、差し引き11%の減少だそうです。
1990年代の中盤と言えば、ウィンドウズ95が出てインタネットが、そしてその後は携帯も普及し始めたにもかかわらずです。
その理由こそが、「仕事をしたつもり」が増えたことだと著者は言います。
家事労働のように、誰にも見られず指図を受けない仕事については、技術の進歩を素直に享受して、無駄なことをやめたり、時間を短くするという合理的な行動をとることができる一方で、会社など組織労働者が集まって上下関係ができる場では、いつの間にかルールや体裁を整えることこそが自分の仕事だと勘違いして、それに対する疑問がわかない状況になるためです。
(例として、膨大な時間を使って資料を作り、きれいに製本したものをクライアントに渡したうえで、一方的に読んでしまうようなプレゼン。そんなきれいなプレゼンのための資料より、すでにあるカタログなどを持っていき、クライアントが疑問に思ったり課題に感じていることをあらかじめ予測し、解決するページ指し示しつつ、そこからクライアントの興味関心を引き出すプレゼンのほうがよほど効果的。)
この「仕事をしたつもり」から脱却するために必要なのが、「考える」ことだというのが本書の最大の主張です。
この「考える」ということは、つまり上記の例で言えば、「クライアントが疑問に思ったり課題に感じていることをあらかじめ予測」することであり、決して、カタログに書いてあることそのままの「資料」を膨大な時間を使って作ることではありません。
これについては、誰もが納得いくことだと思います。でもなぜか、実際には多くの人がこれをやってしまうのです。
それはなぜか。
それは無思考に安全策(常識的な慣習)を取れば成果とは関係なく一定の評価がされる一方で、一度群れを離れた行動をとるとそこには無理解な視線が向けられるから。
つまり、「考える」ことにはインセンティブが働かない社会構造があるからだと著者は指摘します。
そのような前提を理解した上で、やはり成果につながらない安全策を排除し、それによってできた時間を「考える」ことにつなげる勇気を持つことで「人材市場価値」を高めるべきなのです。
グローバル社会が一足先に気づいて、そのことを前提に動いている以上、私たち日本人には変わらない選択肢はないものと強く理解しました。