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会社という迷宮

2025年3月24日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

一橋大学の楠木教授の「室内生活 スローで過剰な読書論」でご紹介され、以下のように絶賛されていた「会社という迷宮」を読みました。

「本質に次ぐ本質。議論が重く、大きく、そして深い。あまりにも本質的であるゆえ、経営者が見て見ぬふりをしてきた核心をストレートに衝く。」

本質的な議論を何よりも大切にする楠木先生がここまで「本質的だ」と評価する本書を読まないで済ますわけにはいきませんでした。

本書を読むにあたっては通常では考えられないほどの時間がかかったのですが、これがまさにこの「議論が重く、大きく、そして深い」ことの証拠です。

というのも、私は本を読むときには必ずA5ノートに心にとどめておくべき重要な部分を抜き書きするようにしているのですが、その抜き書きの数が圧倒的に多かったからです。

とくに、本書のほとんどを「迷宮の経営辞典」という章に費やしているのですが、そこでは「戦略」「市場」「価値」「利益」といった私たちが普段当たり前使用している単語に対して、その理解や使用におけるいい加減さ、危うさをものすごく深いレベルで指摘してくれています。

それは、人間は言語を使って思考することでその本質を見出すしかありませんが、その時に一つ一つの思考の材料ともいえるこれら当たり前の単語をそのように雑に理解し使用していることで、物事の本質からどんどん離れてしまっているという著者のお考えからではないでしょうか。

例えばこんな感じです。

「何より驚くべきことは現代の企業がその『戦略』なるものを予め大々的に発表・公表していることである。このことが企業経営における戦略に関する一般的な理解をある意味で象徴している。そもそも、戦前に手の内を広く公表する人、相手に対して『私はこの作戦で行きますよ』とあらかじめ詳らかにする人など、どの世界にいるのだろうか。もし真面目に発表するとしたらそれは相手を欺くためのフェイクなのか、、、。もしくは文字通り、相手には『わかっていても覆せない』絶対的な必勝戦略だからなのか、、、。実際、多くの企業が『戦略』と名付けて公表しているものは、戦いの前に対外発表しているというその行為自体において『戦略』と呼べる代物ではありませんと自ら告白しているようなものである。その中を覗いてみるとすぐに分かることであるが、そこで語られていることのほとんどすべては、わが社はこんなことをやりたいという希望、こんなことを目指していますという意向表明、このくらいの目標値には届くだろうという希望的観測に過ぎない。」

思わず、自社のウェブサイトの「会社概要」のページをドキドキしながら見返してしまいました。

幸いにして、「戦略」というものを上記にあるような「希望」「意向表明」「希望的観測」的なものの意味で代用しているところは見つかりませんでした。

ただ、このように企業経営にとって最も大切だと信じられているものの定義すらあいまい(というかもはや出鱈目)にしてしまっているとの指摘を受けて、反射的に自社のサイトを「ドキドキしながら見返す」なんて、、、

本当に恥ずかしいことだと反省しています。

 

*お二人の対談を見つけましたのでご覧ください。

本文では「戦略」に関してのみ引用しましたが、こちらで「市場」についてのご見識もある程度確認していただけます。

 

 

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