代表ブログ

「先生」とは

2026年7月26日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

昨日(2026年7月25日)の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」にまたまたいい内容が載っていましたのでご紹介します。

それは「先生」という言葉の定義に関するものですが、以下重要部分のみを引用します。

「広辞苑を引くと、【先生】は五つの語釈がある。①先に生まれた人②学徳の優れた人③学校の教師④医師・弁護士など指導的立場にある人への敬称⑤親しみ、または、からかって呼ぶ称-さて議員はどれだろう。有権者の代表に④ではしっくりこない。あるいは、辞書編纂者が『議員=先生』をあえて外したのだとしたら、先見の明に驚く。」

私は、この「先生」に対していつのころからか明確な定義を自分の中で持つようになりました。

それは、「経済的にも精神的にもその人以外の人間に対してプラスの影響を与えることができる段階ごとにおいてのその人に対する敬称」だと。

それでいうと、①はそれだけでは先生には該当しない、②はその学徳の及ぶ範囲においてのみ該当する、④はその専門領域においてのみ該当する、⑤はどうぞご自由に(笑)ということになります。

残るは、③学校の教師と辞書編纂者によってあえて外された議員です。

つまり、私の上記の定義の中の「その人以外の人間に対してプラスの影響を与えることができる段階ごとにおいて」という限定条件が、最も個別に機能してきやすいのがこの二つです。

私は、その段階を、(自分以外の人間というところで0.自分自身)1.自分の家族、2.自分の組織(会社の従業員やLVのような学校の生徒など)、3.地域社会、4.国家、5.世界というように考えています。

私自身に置き換えて考えると、少なくとも家族を路頭に迷わせていない、そして会社の従業員を路頭に迷わせておらず、その顧客である受講生の大部分に対して一定以上のプラスの影響を与えることができている(と信じている)という段階にいると考えています。

つまり、5段階中2.段階の「先生」ではある(実際、文法講座を担当する時は「先生」と読んでいただけます(笑))。

ですが、正直、その段階を拡大した先の「3.地域社会」以上のレベルにおいてまで「恒常的に」プラスの影響を与えることができるほどの「能力」を自分が生きているうちに身につけることができる自信は全くありません。

とにかく、「2.自分の組織」のレベルを深堀することを必死に頑張ることが私の人生における目的だと思っているため、地方議員(3.地域社会)や国会議員(4.国家)に立候補したり、それ以上は考えることすらありえないことだと確信しています。

ですので、そのような定義の下で動いていない現実の世の中が不思議で仕方ありません。

自分の家族のこともきちんとできない、いや場合によっては0.の自分自身ですらまともにできない人でも「3.地域社会」以上のレベルで「先生」になろうとする人が当たり前のようにいますし、国会議員のレベルに至っては、そのレベルに達していない人の割合はどれくらいなのだろうと考えてしまいます。

でもまあ、こんなことを考えているのは私だけではないということが、この記事の「辞書編纂者が『議員=先生』をあえて外したのだとしたら」という言葉によって分かり、少しほっとしたような気持になりました。

その意味で言えば、いっそのこと「議員」と付くような立場はすべて報酬の発生しない「ボランティア」にしてしまえば、それらの立場に就く人はすべて「先生」と呼ばれるべき人になるのではないかと密かに思っています。

そうすれば議員定数削減の議論も必要もなくなるでしょうし。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆