
The processor and the madman(博士と狂人)
2024年10月13日 CATEGORY - 代表ブログ
書籍紹介ブログでご紹介した鳥飼玖美子先生の「異文化コミュニケーション学」からもう一つ印象深かった項目を取り出して書いてみたいと思います。
本書の中で珍しく韓国ドラマ以外の題材として取り上げられていたものに、以前にこのブログでもご紹介した、「オックスフォード英語辞典」の編纂秘話を題材にした「博士と狂人」という映画があります。
本書の中では、
「英語の歴史的変遷を用例からたどり、一つ一つの単語をゆるがせにせず徹底的に調べる膨大な作業を映し出し、その仕事に献身した二人の人物が描かれている。とりわけ心に残ったのが、辞書作りに人生をかけた人間の『ことばへの思い』である。読み書きができないまま育った貧しい女性に文字を教え、学ぶことがなぜ大切かを説明した際の『ことばは翼を与えてくれる』は言語の本質を語っている。言葉によって人間は、精神の自由と自立を得て、理想と夢を目指し空高く飛翔することが可能になる。言葉は強い。だから、言葉は怖い。しかし、言葉は誰に対しても平等に翼を与えてくれる。言葉を大切にしたいと願う。」
というような形でほんのちょっとだけ、しかも言語に限定した形で取り上げられていたにすぎなかったのですが、これをきっかけにもう一度この映画を見直してみたら、実はかなり「異文化コミュニケーション」という学問分野にとって非常に重要な視点を提供してくれている映画であると偶然にも再認識してしまいました。
その重要な視点とは、人間の「許す」という行為が「異文化コミュニケーション力」に基礎をおいているということです。
実は、上記引用の中の「読み書きができないまま育った貧しい女性」は、辞書作りに貢献した「狂人」ことマイナー博士によって夫を殺されてしまった女性です。
マイナー博士は元アメリカ人軍医で、南北戦争における凄惨な経験で心を病み、その発作によってその女性の夫を間違って殺してしまったことで、医療刑務所にいれられて治療を受けているのですが、自らが犯した罪によってその女性が多くの子供を抱えながら生活に苦しんでいることを気にかけ、自らの財産を女性に贈りたいと提案します。
しかし、彼を心から憎む女性はその申し出をいったん断り彼を強く責めるのですが、やはり生活が厳しく、子供たちのためにそれを受け取ることを決意し、彼とのコミュニケーションを開始し、そこから「許し」のプロセスが始まっていきます。
相手を知るきっかけさえつかむことができれば、たとえどれほど大きな「憎しみ」の対象であった人間だとしても、相手を知ることによって、「許し」のプロセスは展開する可能性があるのだと感じました。
これは、前回ご紹介した韓国ドラマ「Secret Garden」でみた「共感」と同じく、「相手を知る」ことから始まる「異文化コミュニケーション」のプロセスそのものではないかと認識しました。
ドラマや映画を言語学習教材として活用する以外にも、こういった学問的な使い道があるのだと知ることができました。