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問題は本当にスピード感なのか

2025年3月10日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2025年3月7日)の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」に私たち日本人の性分に関してむなしく、情けない気持ちにさせられる記事がありましたのでご紹介します。

「家を持てるころには多くの人が40~50代になっている。子供はすでに大きく、やがてがらんとした家に老夫婦だけが取り残される・・・マイホームを夢見る人の宿命を津島佑子さんが『夢の家』と題したエッセーに綴っている。<幸せを求めて家を建て、そしてその家を呪う>3/11を前に重い言葉が一段と重い。東日本大震災の復興事業では被災者の移転先として多くの宅地が造成された。『巨額を投じ限界集落をつくったようなもの』。朝刊連載『復興の実相』で移転した男性が語っていた。住人の著しい高齢化と目立つ空室・・・住宅再建のもうひとつの柱だった災害公営住宅でも限界集落化は進んでいる。復興事業を国費で賄ったことが過剰な整備につながったと指摘されるが、ではどうすればよかったのか。スピード感も要する復興事業で無駄はどこまで許容されるのか。発生から14年、次なる震災も念頭に解が示されるべき頃合いだろう。朽ちた空き家の先例を前にしてもマイホームの夢をあきらめないのが人間である。」

私は、政治的判断は「朽ちた空き家の先例を前にしてもマイホームの夢をあきらめないのが人間である。」という人間の性分を切り離したうえでなされるべきものだと常々思っています。

現在の政治が混迷している根本的な原因はなによりも「少子高齢化」です。

しかし、このことはもう何十年も前から分かっていたことですが、政治はなんらの「対処」もしませんでした。それは「政治」が国家の「将来」よりも「選挙」を優先したからです。

「少子高齢化」になれば、予算がひっ迫するのは当然で「医療」「福祉」に対する手当は少なくならざるを得ません。しかし、それをまともに訴えたら「選挙」に勝てない(と思い込んでいる)。だから、国家を将来を犠牲にして、身の丈に合わない財政支出をし続けたわけです。

当然ですが、私たち国民は国家がお金をくれるというならそれは断るわけはありません。なぜなら、「朽ちた空き家の先例を前にしてもマイホームの夢をあきらめないのが人間である。」よろしく、将来の1万円よりも今の1千円を欲しがるのが一人一人の人間だからです。

だからこそ、「人間」ではなく「神」の視点で、将来の1万円のためには今の1千円を我慢することで、本当に社会が良くなることを丁寧な説明や時には叱り飛ばすことによって私たちに国民に納得させることが政治の仕事であるはずです。

「高額療養費制度」「高校授業料無償化」などなど、それらを今後も継続することができるのならばどんなにありがたいことでしょう。

でも、三つ子が今度高校生になる私も含め、そんなことは現在の財政状況では持続不可能なのは誰もが分かっていて目を瞑ろうとするのが人間でしょう。

つまり、根本的な問題は記事が指摘するような「スピード感」ではなく、人間の本性に抗って将来について真剣に考えられる「本質的議論」の欠如にあるはずです。

厳しいけれども「神」の視点に立って「将来」を見据えた骨太の国家戦略を描いてくれる政治が見当たらないこの状況には、本当にむなしく情けない気持ちにさせられます。

 

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