
喉元過ぎれ熱さを忘れる
2025年11月5日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
私が大人になってから、世の中の流れがガラッと変わる出来事が少なくとも三度起こっています。
まずは、2008年の「リーマンショック」で、経済に関する考え方がガラッと変わるきっかけとなったものです。
そして、2011年の「東日本大震災(とそれに伴う福島第一原子力発電所事故)」で、大自然に対して我々人間が敗北を認め、便利さを我慢しても環境を守らなければいけないという意識が生まれたものです。
直近が、2020年の「新型コロナウィルス禍」で、全世界の人が死に直面することを同時にそしてリアルに感じたことで、経済活動よりも命を守ることを優先する選択を否応なくさせられた出来事でした。
ですが、この三つ事件が起こった時はそのように変わったかもしれませんが、その後、時間の経過とともに元(便利さ優先)に戻ってしまうことを私たちは自らの経験を通して確認しているはずです。
これだけ大きなことが何度も起こっても、私たち人間は「喉元過ぎれ熱さ忘れる」の繰り返してしまうのです。
最近、そのことが良くわかる科学技術史を専門とされる東京大学名誉教授の佐倉統先生による「便利は人を不幸にする」という2013年出版の本を読みました。
本書は、東日本大震災前における科学技術業界の専門家との議論とその後における議論を一冊の本の中で比べるという非常に面白いものでした。
以下に、この三つの事件の前後の変化とその揺り戻しの状況がよく分かる部分を引用の上確認していきます。
①「リーマンショック」について
リーマンショック以前はアメリカの住宅市場がどこまでも値上がりすることを前提に、その収入の多寡にかかわらず誰もがローンを組める金融の仕組みを生み出すことで、際限のないバブルを生みだしていました(もちろんその過程ではバブルとは認識せずに)。
そこで本書における以下の言及です。
「顔が見えるか見えないかで金融のやり方はガラッと違う。顔が見えないというのは相手がちゃんと働いて金を返す人かどうかを確認せずにカネを貸すということ。そしてその債権をすぐ転売する。これが『証券化』です。こうやって貸し逃げできるから顔が見えなくてもいいのです。」
「ちゃんと働いて金を返す人かどうかを確認する」という当たり前のことができていなかった金融機関のせいで、世界中がその尻ぬぐいをさせられ、もう顔の見えない商売はこりごりだとおもったはず。
そのはずだったのにもかかわらず、今現在、AIブーム真っただ中の時代になって、まだ一度も黒字になったことのないようなAIベンチャーがその「将来性」だけで何兆円もの資金調達を可能にするような金融市場が存在しています。
この「将来性」は要するに将来の「便利」に対する評価であり、その時点においてその「将来性」は確実に「顔が見えない相手」であるはずなのにです。
➁「東日本大震災」について
2011年3月11日までは、誰もが科学技術に潜む「リスク」の存在を極力過小評価して、目の前の「便利」の享受の価値を最大限に過大評価していました。
そこで本書における以下の言及です。
「『もういいよ。もうこれ以上、便利にならなくていいよ』。多くの人がそう思っている。震災と原発事故が起こった時、これは日本の今までのシステムと価値観が否定されたのであり、これから世の中の仕組みを変えていかなくてはならないと感じた。産業革命以後、エネルギーを使い技術を駆使して経済的繁栄を手に入れてきて、それがもう天井まで近づいてきているという意味において。そういったことが、3.11という事故で可視化された。今まで環境問題とかそういう問題としては定時されてきて、ああ、何とかしなきゃ、温暖化って大変なんだなと頭の中ではだれもが思っていたけれども、それを温暖化以外にも様々なリスクが埋め込まれているということをほとんどの日本人が体感させられた。確かに3.11は、時代の転換点に僕たちが立っているということを、否応なく一人一人の身体に刻み込む出来事なった。我々は、刻印されたのだ。」
「刻印された」と思ったあの時から14年の時間が流れたわけですが、やはりそれは「シール」程度のものだったのだと、今では自分自身のふがいなさとともに自覚しています。
あれほど日本人の多くが原発に頼らない社会を作ることに合意したはずだったのに、その努力が想像以上だったことがわかった今では、原発再開という政府の方針に対して本気で反対しておらず、むしろそれでも反対する人を「無責任」だと責めるような風潮になっています。
③「新型コロナウィルス禍」について(これについては、2013年出版の本書に記載はありませんが)
「新型コロナウィルス禍」は現実的な影響の大きさで言えば、私たちにとって、①「リーマンショック」や➁「東日本大震災」を上回る事件だったと思います。
特にあの三年間が、「小学生」「中学生」という様々な人間的基礎を学ぶべき時期にあたってしまった世代にはその代償はあまりにも大きく、取り返しがつかない大きな傷となっている可能性があります。
だからこそ、あの時に「自分自身」「家族」「地域」「自治体」「国家」のあらゆるレベルで経験した記憶をしっかりと振り返り、次に同じかそれ以上のことが起こった時に適切な対応がとれる体制があの直後に構築されてしかるべきだったはずです。
今の社会の状況を見るに、そのような体制の構築どころか、「あの三年は大変だったな」くらいの認識が精一杯でしょう。
あの時、たまたま亡くなった方の葬儀や高齢者施設の入居者の生活があまりにもその方々の尊厳を踏みにじるようなひどいものであったことを思い出すと、それで済ますわけにはどうしてもいかないと思うのです。
「喉元過ぎれ熱さを忘れる」
これは、長い苦難の歴史を歩んできた人類の自らを守る術の一つともいえる性質なのかもしれませんが、以上のことを考えるとどうにかして克服したくなってしまいます。









