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国会から「外野」が消えた

2025年2月9日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

本日(2025年2月9日)の読売新聞朝刊の「編集手帳」に政治関連のネタが久しぶりに「希望」が持てるような形で取り上げられていましたのでご紹介します。

「『野党』という言葉は対極にある政党に対して『外野の存在』という意味で使われていたようだ。その影響からか、<外側から無責任に批判し、野合しているのが『野党』と考えられてきたふしがある>と慶大の大久保健晴教授がかつて本誌で分析していた。30年ぶりとなる少数与党の石破政権は、野党の協力なしでは予算案も法案も成立させられない。国会から『外野』は消えた。戦後、吉田、鳩山、大平内閣など、少数与党政権は複数存在したが、多くは短命に終わった。野党は外から政府や与党の足を引っ張る存在のままだった。少数与党と野党の関係に、現在も通用するモデルケースはない。今国会では、初の省庁別審査で与野党議員が質疑に立った。政権は野党の予算案の修正要求も拒否しない考えだ。国会の新しい景色を国民はどう見ているのだろう。」

少なくとも私は国民の一人としてこの景色を「いいもの」として見ています。

安倍首相時代の「自民党一択政治」が長らく続いたのは、間違いなく鳩山首相に始まる当時の「民主党政権」の体たらくが国民を徹底的に失望させたことが原因です。

でも、国民はその時、当時の民主党が政権を担うだけの能力や経験がないことを全く考慮に入れずに、彼らを一回の選挙においてその任に当たらせる選択をしてしまったわけで、落ち着いて考えれば当然の帰結でした。

一つの会社を今まで全く経営の経験をしたことがない素人集団に任せるというという決断がどれだけ危うい決断かということすら容易に分かるはずなのに、それよりもずっと複雑で規模の大きな「国家」の経営に同じく経験をしたことがない素人政党にあたらせる決断をしてしまったのは紛れもない私たち日本国民でした。

そして、それがどうにもならなくなった後に「やはり政権は自民党でなければ」ということで、再び安倍自民党政権が成立したわけですが、その間民主党をはじめとする野党は「外から政府や与党の足を引っ張る存在のまま」その能力や経験を積み重ねる努力をすることはありませんでした。

その意味で、前回の衆議院選挙では私たち国民は絶妙な選択をしたのかもしれないとこの記事を読んで思いました。

それは、「自民党」にも「立憲民主党」にもバカ勝ちをさせず、それ以外の少数野党が否が応でも「キャスティングボート」を握らなければならないような状況を作り出し、すべての政党に対して「主体性」と「責任」を持たせるという選択です。

これがまさに本記事内の「国会から『外野』は消えた。」という表現の意味なのではないでしょうか。

本来的にはそれはいたって「当たり前」のことだと思うのですが、それでも日本国にとっては大きな一歩だと思います。

 

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