
国会議事堂は、解体。でいいんじゃない?
2025年7月4日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
昨日(2025年7月3日)の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」に面白い「新聞広告」に関する記事がありました。
参議院選挙が公示されたことに伴っての記事ですが、その部分に限定して引用します。
「宝島社は面白い新聞広告をよく出してくれる。例えば<国会議事堂は、解体。>青空の下、パイプ椅子の並ぶ広場で国会議員たちが議論する写真に刺激的なコピーが付いた2002年の広告である。威容を誇る建物にこもり、国民の声を聴こうとしないセンセイ方を皮肉っており、さらには『様々な地域の実情を肌で感じられる』と、日本各地の広場を巡る『ツアー国会』まで提案している。」
すごく興味をそそられまして、ネットで写真を検索したらありました。
私は、まさに「これでいいんじゃない?」というかむしろ「これがいいんじゃない」とかなり真剣に思ってしまいました。
しかも、「様々な地域の実情を肌で感じられる日本各地の広場を巡る『ツアー国会』」など、頻繁に批判される国会議員の特権としての鉄道、バス、飛行機に無料で乗ることができる「パス」の支給(*)は、このために使えばいいじゃん!とも。
*ちなみに、こちらも調べましたらこれらの特権は「国会議員の歳費、旅費及び手当等に関する法律」によって定められており、その負担は当然ですが国の予算から支出されています。その額は年間13億円に上るそうです。
この宝島社の広告は、国会(国のために何をするのか議論する場)の本質を見事に見える化してくれるものでした。
奇しくも、ここ最近全国的に「伊東市」の名前が有名になるきっかけとなった「学歴詐称問題」に揺れる市長の問題についても、自治体の首長のあるべき「姿勢」というか「能力」というかの本質について考える機会となりました。
しかし、私たち国民、市民は、「政治家のレベルは選挙民のレベルがそのまま鏡に映ったもの」という真実を明確に自覚しながら投票活動をしないと確実にそして強烈に私たちの生活に跳ね返ってくるのだということを選挙のたびに思い知らされているにもかかわらず、なぜかその状況は選挙のたびに悪化しています。
それはなぜなのか、毎度毎度考えているのですが、その答えは結局「政治家のレベルは選挙民のレベルがそのまま鏡に映ったもの」だからというところに残念ながら落ち着いてしまうのです。