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地政学が最強の教養である

2023年3月22日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

かなり前(3年強にわたるコロナ禍を経た今、実際の時間よりもずっと大きな感覚の差を感じてしまいます)になりますが、田村耕太郎氏による「アジア・シフトのすすめ」という本をご紹介して、日本人の東南アジア観の危うさを確認しました。

著者は、その危うさを象徴するものとして、とある東南アジアの某国首脳のアドバイザーの以下の発言を取り上げていました。

「多くの日本人が『中国は東南アジアにひどいことをしているから、それに対抗するために日本と力を合わせよう』というが、これは三つの意味で間違っている。一つ。日本がもっとひどいことをしたことを東南アジアは覚えている。二つ。東南アジアには中華系が多く、中国人をひとくくりにして悪く言われるのが嫌い。三つ。東南アジアは、日本サイドにも中国サイドにも加担したくない。『東南アジアはどちらの側にもつかない。それが東南アジアの叡智だ。どこにも加担せずどことでも仲良くする。それが東南アジアの価値だ。』(一部修正)」

正直、この発言には目を覚まさせられる思いで、この言葉を紹介した著者の視点へのリスペクトが高まりました。

その田村耕太郎氏の新刊「地政学が最強の教養である」を読みましたのでご紹介します。

まず、本題に入る前にこのタイトル中の「地政学」という学問がどういったものであるか、特にこれと似た「国際関係学」との違いを中心に本書の言葉を引用しながら確認します。

「『地政学』とは価値判断をいったん横において、科学的観察によって、地理的な条件に着目し、国の行動を予測する学問であり、国際関係の背後にある中長期的な国の動きを読むアプローチである。それに対して『国際関係学』は、短期の国同士の動き(時のリーダーの性格や人事、経済情勢や世論など)に着目して国の動きを読むアプローチであることに違いがある。」

その意味でいうと、冒頭の多くの日本人の持つ東南アジア観は、実に「国際関係学」的なものであって、東南アジアの叡智は「地政学」的なものであるといえるような気がします。

つまり、本書における著者の主張は、「日本人は『価値判断をいったん横において中長期的に国の動きを読む』能力が欠けているということであり、日本人こそが、今『地政学』という学問を身に着ける必要があるということ」です。

本書によれば、地政学とはその名の通りの「政治学+地理学」を基本にしつつも、実際にはその二つに「経済学」「哲学」「歴史学」「宗教学」「文化人類学」のアプローチを加えた総合的な学問です。

このように、私たちがそれぞれ別々に分類される異なった「学問」だと考えているものを幅広く横断的に活用することによって、「世界をできるだけあるがままに理解すること」を目的とするのが「地政学」ということになります。

本書の中でも指摘がありましたが、このように考えてみると「地政学」の本質は「リベラルアーツ」であることに気が付きます。

リベラルアーツ(詳しくはかつてのブログ記事をご参照)とは、「自由でいること、自由になるためのスキル」です。

まさに、複雑で長期にわたって繰り広げられる国家同士の生き残り競争から「自由でいること」が国家の究極の目的であるわけですから、それを実現するための「ツール」ということから必然的にそうなりましょう。

その意味で、本書のタイトル「地政学が最強の教養である」はまさにその通りかもしれません。