代表ブログ

増補新版 人新世の資本論

2026年6月24日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前に「人新世の資本論」という新進気鋭のマルクス経済学者である斎藤幸平氏の著作をご紹介して、

「先進国だけでなく発展途上国も含めた全人類が公平に選損していくためには『脱成長』を模索するしかない。そしてそれを実現するためには、地球全体を民主的に『共有・管理』する(共産党が独裁する仕組みとは異なり、あくまでも民主的な)『コミュニズム』という考え方に至る。」

という今まで資本主義的思考があまりにも前提的すぎた私たちにとっては、この著者の指摘は新鮮かつ見ないふりをするにはあまりにも説得的な主張でした。

そして、それを紹介するブログ記事の最後で私は、

「(経済的繁栄を犠牲にしてでも地球を守るということは)今までであればおそらく手遅れになるまで実行に移すことは難しかったと思います。ですが、私たち人類はこのタイミングで『コロナ禍』を経験してしまいました。『人命』と『経済』のバランスを突き付けられ、『人命』を優先するために『経済』を我慢する必要に世界中が迫られました。そして、特に日本では自分たちの行動を大きく制限することを自ら積極的に政府に求めるという人たちが多数派を占めるという現象まで起こりました。このことから、著者が指摘した『資本主義の次』として、持続可能性の枠内で社会的欲求を最大限満たす最適解を導き出すという新しいシステムは意外に受け入れられるのではないかと、今だからこそ思えるような気がします。」

という希望的観測を書きました。

あれから6年、コロナ禍が明けて3年以上、私たちはその姿勢を維持・発展できたでしょうか。

「喉元過ぎれば、、、」のことわざどおり、見事に何もなかったかのように「経済優先」の姿勢に戻った、いや「AIのデーターセンターでの電力消費の増加による電力争奪戦」がニュースになるなど、状況は悪化の一途をたどっていると言わざるを得ず、私の希望的観測は見事に外れてしまいました。

今回ご紹介するのは、本書(新書)の出版から6年を経て、「補考 オーバーシュートと進歩の終わり」という新たに書き下ろされた章を収録して再出版された「増補新版 人新世の資本論」(単行本)です。

以下に、その「補考」を読んでの感想を書きます。

「持続可能な世界」「平等な世界」を本気で目指すにはもはや「資本主義」を基本に据えたやり方では不可能。

それは、いかに「啓蒙主義」を掲げながらも、経済を優先するあまりの環境破壊や自国中心の力による現状変更を目的とした侵略行為など、この期に及んでも既得権益者の論理を振りかざすのは、資本主義の根底部分に「収奪」の概念(常にフロンティアを求めるという意味で)が存在しているからに他ならないから。

その意味で言えば、「脱成長」による「民主的なコミュニズム」によってしか、「持続可能な世界」「平等な世界」は達成できないことはうすうす感じてはいるけれども、私自身やはり先進国の住民である以上、頭では分かっていても行動に移すことは極端に難しいことなのだと言わざるを得ません。

「1.5℃をオーバーシュートし、地球システムのティッピングポイントを超えるのが避けられなくなった現在、何らかの奇跡が起きて大きな社会変革に成功したとしても、『野蛮状態』は完全にはなくならないということだ。もっとはっきり言えば、『人新世』の未来の選択肢には相当程度の犠牲を伴うハードランディングしか残されていない。ベストシナリオでも『野蛮の中の社会主義』しかないのだ。もちろん、それでも人類が絶滅するわけではないし、これからも文明生活は続く、当然、自由や平等のための闘争も続く。だが、未来が今より良い社会になると信じることが難しくなってしまったという違いは非常に大きい。」

と、このような言葉で著者はそのような私たちの「とは言っても何とかなるでしょ」と言ったズルい思いをズバッと気持ちいいくらいに断罪してくれています。

著者は、「ポイント・オブ・ノーリターン」を超えてしまったことを自覚しながら未来に向かう「レームダック人類」に何ができるのかを考えるのが自らに課せられた責任だと自覚し、そのような時代の新しい思想を確立する必要があるといいます。

その試みとして本書と同時に「人新世の黙示録」という著書を出版されたので次回はそちらをご紹介します。