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「多様性」という矛盾

2021年3月29日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2021年3月27日)、朝日新聞デジタル版で言葉を職業にしている私にとっては非常に気になる記事がアップされました。

それは、「ファミリーマートが自社PB下着の『はだいろ』表記の商品を回収した」というものです。

ファミリーマートは、「はだいろ」という表現が一般的な日本(アジア系)の人の「肌の色」に限定されてしまうので、この表現を使用することは多様性を重視する観点からは「不適切」であると判断したということであり、この記事もその判断を「好意的」にとらえているように思えます。

また、古い記事ですが、別の会社の「絵の具・クレヨン・色鉛筆から『はだいろ』が消えた」というような記事もあります。

しかし、私はこのような流れに大きな「違和感」を感じてしまいます。

なぜなら、「はだいろ」という表現は日本語が日本人の多く(アジア系も含め)の肌の色を表すものとして、古くから使用してきたものであり、その存在自体が日本語という言葉の個性の表れでもあると思うからです。

そこで、この「違和感」はどこから来ているのか、自問自答してみました。

するとそれは、グローバル化という時代の力によって、日本語の個性を押さえつけていることになってしまっていることについて「多様性」の観点からどうとらえているのだろうというところから来ているのだと思い当たりました。

このような動きは、それが外部からの圧力によるものか、自らの判断によるものかにかかわらず、明らかに言葉に対する「規制」であると思います。

ただし、そもそも「多様性」と「規制」は論理的に相容れないものです。

もちろん、「多様性」を守るために「規制」をかけなければならない場合があることもあるでしょう。

では、その場合の「矛盾」を解消するにはどうしたらよいでしょうか。

それは、その表現自体に「悪意」がある場合、およびその表現を使用する者に「悪意」がある場合に限定して「規制(自主規制も含む)」をかけるべきだという社会的な共通認識をもつことしかないように思います。

「規制」がただの「言葉狩り」になるようなことは是非避けたいものです。

「多様性」の意味合いを考えればそれは当然の帰結のように思いますが皆さんはいかがお考えでしょう。