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「多様性の尊重」と気配り

2025年10月12日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

本日(2025年10月12日)の読売新聞朝刊の「編集手帳」に非常に考えさせられる記事がありましたので以下重要部分を引用します。

「20世紀のドイツの作曲家ヒンデミットは聞き手の心持ちに気を配った。一つ一つの音色を際立たせるため、弟子が作った楽譜から音符をどんどん削ったという。次の言葉を残している。『受け入れる心がなければ、音楽は無意味な騒音である』横浜市のふ頭で7月に催された人気バンド【Mrs.Green Apple】の野外音楽ライブを巡り、地域住民から騒音の苦情が何百件年に殺到したという。ライブは2日間で10万人をあつめた。会場から空に向かう音波が追い風の影響で曲がり、街に降り注いだとされる。野外フェスが人気である。好きな人が好きな時、好きな場所で楽しむのが音楽とはいえ、聞き手でない人への気配りも忘れないでいたい。」

「好きな人が好きな時、好きな場所で楽しむのが音楽」という言葉と「『受け入れる心がなければ、音楽は無意味な騒音である」という言葉の二つがぶつかり合ったこの記事に「多様性の尊重」とは、私たちが思っているよりもずっとレベルの高い概念なのではないかということを思い知らされた気がしました。

ことは音楽だけにとどまらず、あらゆるものに対して人間は「好き」「嫌い」の評価がそれぞれにあり、自分の「好き」が他人の「嫌い」である可能性は十分にあり、それがグラデーションのようでありながら同時に偏りがあることで「マジョリティ」と「マイノリティ」が生まれます。

そしてそれは時代の変化によっても「マジョリティ」が「マイノリティ」になったり、その逆もあったり、もっと言えばそれが全体としてどっちがどっちか分からないことだってあるでしょう。

その中で、「多様性の尊重」とはどういうことなのかということを考えると、それは一人一人の立ち位置に関わらず、そうでない立場に対する「気遣い」ができることなのではないか。

だからこそそれは本当に難しく、私たちが思っているよりもずっとレベルの高い概念ではないかと思ってしまったのです。

でも私たちにそのレベルの高い概念を理解し受け入れることができなければ、現在どこかの国でみられるような「分断」によって誰も幸せになることができないディストピア的未来しか見えてこないような気がします。