夜と霧
2020年11月18日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
前回の百田尚樹氏の「鋼のメンタル」の記事の中で、鋼のメンタルを手に入れるための二つ目の方法として、この世の中には自分と比較にならないくらいの苦悩の中に生きている人の存在を知り、それによって自分が悩んでいることは本当に『悩み』に値するものかどうかを相対的に判断できるようになることを取り上げました。
著者は「自分と比較にならないくらいの苦悩の中に生きている人の存在を知る」方法として一冊の本を読むことを勧められていましたので読んでみました。
それは第二次世界大戦中にナチスのアウシュヴィッツ強制収容所での自らの体験をつづった心理学者のヴィクトール・フランクルの「夜と霧」です。
この本は、私が小学生のころからずっと自宅の本棚に飾られ続けてきましたが、著者の紹介によってすぐさま手に取り読み始めるに至りました。
実際に読んでみると、百田氏が「自分と比較にならないくらいの苦悩」の典型例として指摘するように、その内容はここに文章として書くことを躊躇してしまうほどに絶望的な状況が、あの時代のあの場所で起こっていたことを確認できます。
そして、本書の中で重要な点としては、そのような状況の中で多くのユダヤ人が亡くなっていったわけですが、本書を書き上げたフランクル氏は、その一方で、なぜ自分自身が生き残ることができたのかを心理学者としてしっかりと自己分析をされている点です。
まず、多くの人たちが亡くなってしまったことについては、もちろんナチスがそのように仕向けたからということなのですが、特に生き残ることができた人とそうでない人との違いということに限って考えれば、以下のような理由を挙げられています。
「(数週間の収容所生活の中であまりにひどい状況を目の当たりにすると)嫌悪、戦慄、同情、昂奮、これらすべてをもはや感じることができないのである。苦悩するもの、病む者、死につつある者、死者―これらすべてが当たり前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことができなくなるのである。」
「このような精神状態は、いつまで自分が収容所にいなければならないか全く知らないという事実が大きな影響を与える。すなわち、収容所に留められる期間の無限性が感じられることで内的な崩壊現象が生じ『生きる屍』と化していく。」
一方で、著者がそのような状況の中で生き残ることができた理由を以下のように挙げています。
「私はこの残酷な強迫に対する嫌悪の念にもう堪えられなくなった。そこで、次のようなトリックを用いることにした。私の前には興味深く耳を傾ける聴衆がいた。そして、私は語り、強制収容所の心理学についてある講演をしたのだった。そして私をかくも苦しめ抑圧するすべてのものは客観化され、科学性のより高い見地から見られ描かれるのだった。-このトリックでもって私は自分を何らかの形で現在の環境、現在の苦悩の上に置くことができ、またあたかもそれがすでに過去のことであるかのように見ることが可能になり、また苦悩する私自身を心理学的、科学的探究の対象であるかのように見ることができたのである。」
著者は、このような経験からも、「勇気と落胆、希望と失望というような人間の心情と有機体(としての人間の体)の抵抗力との間には緊密な連関がある」ということを知っておくことが重要だと言っています。
本書では、次のような事例によって、このことが単なる結果論、精神論の類ではなく、実際のアウシュヴィッツで起こった出来事によって科学的に証明されていることを明らかにしています。
「この観察とそれから出てくる結論は次の事実と一致するのである。1944年のクリスマスと1945年の新年との間に収容所ではいまだかつてなかったほどの大量の死亡者が出ているのである。それは過酷な労働条件によっても、また悪化した栄養状態によっても、また悪天候や新たに表れた伝染疾患によっても説明され得るものではなく、むしろこの大量死亡の原因は単に囚人の多数がクリスマスには家に帰れるだろうという、世間で行われる素朴な希望に身を任せた事実の中に求められるのである。クリスマスが近づいてくるのに収容所の通報は何ら明るい記事を載せないので、一般的な失望や落胆が囚人を打ち負かしたのであり、囚人の抵抗力へのその危険な影響は当時のこの大量死の中にも示されているのである。」
つまり、「勇気と落胆、希望と失望というような人間の心情と有機体(としての人間の体)の抵抗力との間には緊密な連関がある」ということを知っておくことこそが「鋼のメンタル」の正体だということがよく分かりました。