子どもの感性
2006年3月5日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
前回の記事で、養老先生の番組についてのコメントを書きましたが、かなりの反応をいただきましたので今回も前回に引き続いて、子供の感性についてのことを書いてみようかと思います。
私は、ランゲッジ・ヴィレッジの送迎バスをできるだけ運転するようにしています。
というのも,じかに生徒さんに接することによって、生徒さんの感じていること、感想、体験談を聞かせてもらえるチャンスに恵まれることが多いからです。
そして、そこからかなりの部分、内容にフィードバックさせていただいています。
ランゲッジ・ヴィレッジの泊まりの生徒さんだけでなく平日のキッズの送迎も私がやります。
そこでは、彼らの成長が手にとるようにわかり、毎週、毎週、それを感じるのが楽しみになっています。
やはり、一番驚かされるのは、発音です。
前回にも書きましたが、概念化が日本語の音域ですでになされている大人にとっては、概念として吸収されていない、日本語になくて英語にしかない発音というのはどうしても、素直に受け入れることができず、無理やり概念化された日本語の発音領域の中に押し込めてしまうことによって理解しなければならないのです。
LAもRAも「ら」でしかなく、日本人の発音、いわゆるカタカナ英語になってしまうのです。
しかし、子供たちは違います。
時々、ブライアン先生にキッズの送迎バスに乗っていってもらうとき、彼らが先生と英語でやり取りをするとき、私は耳を疑います。
カタカナ英語ではないのです。
この点からも、子供たちへの英語教育に対しては絶対にカタカナを使うべきではないなと思うのです。
私は英語だけを使って英語を教えるべきかそれとも日本語を混ぜて英語を教えるべきかという議論にはどちらともいえないと考えてきましたが、感性で動いている子供たちを相手にするということであればこのことから、RAはRA、LAはLAというものだと教え込み、「ら」との関連性を連想させるようなことはしないほうがいいなと思えるようになってきました。
その逆に、感性を失ってしまったわれわれ大人に関しては、ある程度基礎英語を学ぶときには、日本語を使うことによって合理的にすることができ、感性を呼び起こすような勉強の仕方よりも、概念の扉を少しでもいっぱいに広げる努力をしたほうが近道だと思います。
ただ、ランゲッジ・ヴィレッジの大人の生徒さんはほとんど基礎の基礎はできた方々ばかりなので、完全に英語だけでやってしまっています。(基本的に中学の英文法があれば十分です。)
最低限の文法ルールを手に入れた後はそれを使いまくることが重要ですから。
カタカナ英語で一瞬理解されなくても、カタカナ英語でその状況説明をしさえすれば、必ず理解してもらえますから、何の心配もありません。
宇多田ヒカルさんとニュース23の筑紫さんの英語の違いをイメージしてみてください。
宇多田さんのほうがかっこよく話してますけど、だからといって筑紫さんが英語で困ることはないと思います。
英語は通じさせるためにあるわけであって、ネイティブのように話すためにあるわけではありません。
というわけで、私も含めてカタカナ英語を臆せず話しましょう。
でも、少しだけキッズがうらやましくなるのもまた、事実ですが、、、、、