
敗戦真相記 ~予告されていた平成日本の没落~
2025年3月4日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
本書も長い間「積読」状態にあったものをようやく救出したものです。
あまりに長くその状態にあったためよく覚えていないのですが、おそらく一橋大学の楠木先生の何かしらの著作にお勧めの書籍として紹介されていたような気がします。
著者の永野護氏は、父親を東大在学中に亡くし、5人の弟を養わねばならなくなった際、たまたま学友に渋沢栄一の子息がいたことから栄一より気に入られ、息子の勉強相手という名目で現在の価値で約40 – 50万円の給与を支払われたと言います。
それを郷里の弟妹の養育費に充て、弟5人は全員大学に進学し最終的に自らを含め政財界でそろって活躍する「永野兄弟」として知られました。
具体的には、本人の護が東洋製油取締役、山叶証券専務、丸宏証券会長、東京米穀取引所常務理事、帝人など40余の役員を務めたのち、戦前・戦中に衆議院議員を二期務め、戦後には参議院議員として運輸大臣も務めました。
兄弟としては、重雄が新日本製鐵会長や日本商工会議所会頭を、俊雄が五洋建設会長を、輝雄が日本航空会長を、鎮雄が参議院議員を、治が石川島播磨重工会長を歴任しています。
本書「敗戦真相記」は本人の護が敗戦直後の広島で行った講演での記録を元に、2002年に出版にされたものです。
以下、本書のポイントが分かるようにできる限りまとめてみます。
太平洋戦争に日本が負けた本当の原因は、自由通商主義に基づいた日本独立維持に満足できず、侵略による自給自足主義(植民地を犠牲にした自己中心主義)を追求してしまったこと、そして精神主義に傾倒するがあまりの生産性の低さと組織に対する非科学性です。
こちらについてはこのようなエピソードを添えられていました。
「川に橋を10本かけないと交通量がさばけないといったとき、日本のやり方は漫然と10本の橋をかけようとするが、皆資材が足りなくて途中で切れて結局、向こうに渡れる橋は一本もできなかったという状態です。アメリカであれば、10本かける量がないとなれば、では5本だけかけよう、あるいは1本だけでも早くかければ人が通れて大変重宝する。これはマネージメントの差で科学力や生産量の差ではありません。日本人の特性は一見非常に忙しく働いているように見えて、実は何一つもしていないことで、チューインガムをかんだり、ポケットに手を入れたりして、いかにも遊んでいるように見えて、実際は非常に仕事の早いアメリカ式と好対照を見せています。アメリカに言わせると、日本の敗戦は『科学無き者の最期』ということになります。(一部加筆修正)」
このことを国民全体で反省をせずに敗戦にまで至ってしまったことが何よりも日本の不幸だと著者は言っています。
これなどは、かつて私もブログ記事「誰のために何のために」で書きましたが、敗戦までどころか今でも全く変わっていません。
このあたりの言及が、サブタイトルにあるように「予告されていた平成日本の没落」と言われる所以かもしれません。
とにもかくにも、ここまでの鋭い分析を終戦から1カ月しかたっていない時期にやってのけ、聴衆の前で披露できた著者は本当にただものではないと思いました。