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文系と理系はなぜ分かれたのか

2025年4月10日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

文系と理系はなぜ分かれたのか

このような疑問、つまり「文系」と「理系」というような二つの概念が存在していることに疑問を持つという経験を持った人はあまりいないと思います。

私もアメリカ留学をするまでは、この二つの分類はそもそも「当然」のことであり、疑問をさしはさむ余地のあるようなものではないと思っていました。

しかし、実際にはあちらの学生たちと話をする中で初めて、「文系」と「理系」に進路を分けるという習慣は日本独特のものであることに気づかされました。

そのため、この本のタイトルを見た瞬間、当時の疑問が再燃し、その理由を知りたくなりました。

本書は、非常に丁寧に現代の大学教育システムの成り立ちの歴史を、古くは自由な学問が花開いた古代ギリシアの時代から、ローマカトリック教会の影響下で学問の自由が奪われた中世ヨーロッパを経て、ルネッサンスによって学問の自由を取り戻したアカデミーの時代、そして大学という制度が学問の自由を獲得することで大いに発展し、現在に至るというかなり壮大なヨーロッパの歴史を概観しながら、その後、その成果を後から意識的(ある意味つまみ食い的に)に受け入れた日本の制度の独特さとを比較することで、その疑問に迫っています。

このように本書は、そのシンプルな「タイトル」から想像されるよりもずっと重厚でしっかりとした内容のものでした。

まずは、人類の学問の歴史は決して、直線的に発展していくような単純なものではなかったという事実が、次のように明らかにされていたことがとても印象的でした。

人類の歴史のかなり早い段階では、自由な学問・技術体系が実現されていたのにもかかわらず、キリスト教、特にローマカトリック教会の影響によって、その自由さは神の存在によって抑圧され、学問・技術的には暗黒な時代を長く経験することになります。

よく私たちは、エジプト文明やシュメール文明、そして古代ギリシア文明、古代中国文明などの技術力の高さをもって、「そんな昔なのに不思議」と捉えがちですが、逆に言えばそのような太古にはすでに獲得されていた文明が「神」の存在によって意図的に人類の歴史から葬られていたとも考えられるのです。

そんな人類の発展の一時停止を終わらせたのが、神中心の世界からかつてあった人間中心の世界へ再び戻るという「ルネッサンス」の運動です。

この運動は、印刷技術による知の拡散、それによる宗教改革などによって、人間が自分の頭で考えて世界を捉えなおすという機運が一気に高まることで発展していきます。

その中で進められたのが学問の細分化、専門化という動きです。

人間の五感や感情からなるべく距離を置き、器具や数字、万人が共有できる形式的な論理を使って「客観的」の物事を捉えることによってそれは実現されていきます。

そのように成立していった西洋の自然科学や人文社会科学ですが、これが実際にどのような性質を持っていたのかがよく分かるのが、明治期にそれらを意識的・即席的に取り入れることにした日本人がそれらに対してどう見ていたかという次の言葉です。

「明治時代の日本が出会ったのは、様々な分野に細分化した諸科学でした。まず、『専門分化』する学問そのものの発見がありました。1870年代に西周はまさにそのことを指摘し、学者一人一人が一つの分野の専門家となり他の分野は修めないことに驚いています。」

そうなのです。

私が、アメリカでは日本のように「文系」と「理系」という二つの概念が存在していないことに驚いた話を冒頭でお伝えしましたが、明治時代の日本人は、二つの概念どころか、それ以上に細分化されている学問の体系に驚いたという全く逆の状況が起こっていたことになります。

では、それ以降、彼我の違い(というか逆転)はどのように起こったのでしょうか。

その後、世界の学問は基本的にその専門分化が進んでいきますが、それとともに社会がより複雑化していくことによって、一つ一つの学問だけでは解決ができない問題が多く発生してきて、様々な学問を組み合わせる「学際的」な取り組みが必要になっていきます。

それは、日本においても西欧においても基本的には同じことなのですが、日本にだけ少々特殊な状況が生じます。

以上で説明した学問の発展の歴史は西欧社会で起こったものであって、日本はそのような発展の過程を経ずに、明治時代になって「国家建設」という目先の利益のためにそれを即席で導入したということです。

それによって近代化を実現しましたが、太平洋戦争の敗戦を経て、またそこからほとんどゼロからのスタートを余儀なくされ、再度即席導入するような形となりました。

その際、具体的には1910年代にすべての学問分野を「文系」と「理系」に分類し、これ以降大学入試の準備段階で「文系」と「理系」とに分けて教育する方式が定着しました。

これには日本なりに教育の効率性を高めるという意図があったのでしょうが、逆に言えば世の中の複雑化に伴う「様々な学問を組み合わせる学際的な取り組み」を遅らせることにもつながってしまったことは否めないと思います。

つまり、これは「大学入試」における制度の問題という小さな違いにとどまらず、実はこのような世界的社会的要請にこたえることを根本的に妨げる大きな問題にもつながりかねないと思います。

このように非常に深い議論が繰り広げられていた一冊でしたが、私の25年間続く疑問解消にとっては非常に有益な一冊になりました。

 

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