
「日蓮」を読む
2024年7月7日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
このところ、「ゼロポイントフィールド」シリーズから「科学するブッダ」を経て、「空海と風景」と来まして、ふと、そもそもうちの菩提寺の宗派である「日蓮宗」について、しっかりと学んだことがないなと気づき、一冊読んでみることにしました。
日蓮上人に関するもので、最も読みやすそうなもので(「空海と風景」の読了までがあまりに時間がかかってしまったので)、かつ最も興味をそそるものという視点で探したところ、本書の著者「ひろさちや」さんのペンネームの由来がギリシア語の「フィロ(愛)」とサンスクリット語の「サティヤ(真理)」であったということから本書に決めました。
実際に読んでみましたら、非常に読みやすく、日蓮の人生を学ぶことができるようになっていました。
菩提寺が日蓮宗の家に生まれて、身延山にも何度も足を運んでいる私としては、なぜもっと早くその開祖である日蓮上人の人生を詳しく知ろうとしなかったのか後悔するほどでした。
以下本書より、日蓮の一生涯を「法華経」と絡めてポイントを押さえながら短くまとめてみます。
まず、日蓮の一生は前半生と後半生で全くと言っていいほど異なります。
ただし、その信念としては前半も後半も仏教において最も大切なのは「法華経」の教えに他ならないというものです。
では、同じものを大切にしながらその姿勢が大きく異なるということは具体的にどういうことでしょうか。
日蓮は1222年現在の千葉県、安房の国小湊に漁師の子供として生まれ、12歳で清澄寺に預けられます。(曹洞宗の道元、浄土宗の法然、真言宗の空海、天台宗の最澄など日本仏教の開祖のほとんどがいわゆる「良い家柄」の生まれであるのに対して、日蓮だけはそうではありませんでした。)この寺は今は日蓮宗の大本山となっていますが、彼が預けられた当時は法華経を根本経典とする天台宗のお寺でした。
16歳で出家して「蓮長」と名乗り、鎌倉へ遊学後、一度清澄寺に戻ってから比叡山にて30歳を過ぎるまで仏教諸派の教理を学び、結論として「法華経」が唯一にして絶対の真理を語っているものだとの確信に至ります。
彼が生きた時代は天変地異が続発し、世の中は疲弊しきっていました。その中で苦しむ衆生(民衆)を救うために「法華経」を広めようと決心し、鎌倉に拠点を置いて布教活動を行うのですが、その場所を鎌倉に定めたのは、政治権力を動かさなければその目的は達成できないと考えたからです。
そこからの日蓮の活動は非常に激しいものでした。
具体的には、「法華経」ではなく念仏を唱えればよいとする他宗派を敵とみなし、「念仏者(多宗派の者)は殺してしまえ」といった過激な発言をしたり、「立正安国論」を主張し、国家として法華経に帰依しないと国が亡びるとして、幕府を半ば脅迫するなどして死刑になる寸前まで追い込まれました。(具体的にモンゴル襲来を預言したり、死刑の寸前に奇跡を起こすなどして死刑は免れたと言われています。)
当時の鎌倉幕府は過激な発言を繰り返す日蓮たちを一種のカルト教団扱いしたわけですが、当時の人々の多くには現代のオウム真理教と警察の対決と変わらないようなものに映ったのかもしれません。
ここまでが、衆生を救うためには政治的に動いて「法華経」を強制的に広めなければならないと確信していた日蓮の前半生です。
そんな中で伊豆、そして佐渡にと二度流刑にされてからが日蓮の後半生にあたります。
最終的に日蓮は以下のように気づきます。
いくら「法華経」が正しいと言って、権力者を動かし、富める者から富を奪って貧しい者たちに分け与えるという平等運動はあくまでも「人間の物差し」でのことであり、「仏の物差し」ではないのかもしれないと。
実際、鎌倉幕府は「立正安国論」を受け入れなかったけれども国として滅んだわけでもなく、自分は「人間の物差し」でものを見て焦っていたに過ぎないのではないかと。
佐渡流刑から放免された後、一旦鎌倉に戻り、ほどなく身延山に入山した日蓮は、「法華経」が説く、「誰でも必ず未来(輪廻の先)には成仏できる」という「仏の物差し」でものを見れば、この世での成仏を目指す必要はないことを理解し、民衆にもそれを説かなくなりました。
これこそがまさに日蓮が見出した新しい「法華経」観であり、お題目の真髄である法華経に「南無(おまかせする)」ということであり、たとえ他の宗派の人が何を説こうとそれで民衆が救われればいい、私は私で法華経に基づいてやっていくという姿勢への転換でした。
「多宗派の者は殺してしまえ」では、キリスト教の十字軍と何ら変わらない「一神教の悪いところ」そのものであり、日蓮その人がそのような過激な信念から一生をかけて「南無(おまかせする)」という仏教観を日蓮宗において確立したこと、そしてその宗派を我が家が信仰していることを今更ながら幸せに思うことができました。