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書斎の達人

2024年11月6日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回の「作家とお金」の中で、作家の6つのタイプをご紹介しましたが、その中の「アーティストタイプ」の実例として、「司馬遼太郎」を独断と偏見によって選定しました。

その理由として、「作家として得た収入を、自分を高めるために使ったり、次の作品やプロジェクトに投資したりします。」という解説文から、以前にこのブログでご紹介した「司馬遼太郎記念館」の記事の中で、

「説明係の方からの情報では、司馬先生の亡くなられた時点での蔵書はなんと6万冊。当時そのすべてが自宅の中に収められていて、廊下や玄関を含むあらゆるスペースが本で占領されていたようです。そのうちの2万冊をこの記念館の本棚に移し、残りの4万冊はまだ自宅の中にあるそうです。それらはもちろん歴史に関するものが多いですが、その分野が言語、文化、人口、風俗、産業など非常に多岐にわたっていることに驚かされました。」

と書いたことを思い出し、彼の作品への投資に関する意識とこの圧倒的に膨大な量の資料との格闘の場であった「自宅」特に「書斎」への興味がふつふつと湧いてきたからです。

そこで、私の本棚の中にずっと埋もれていた「作家の家」と「書斎の達人」の二冊の本を積読(というよりはもはや部屋のインテリア化)から救出することと相成りました。

まずは、「作家の家」からいいなと思った作家の家の主として「井上靖」をご紹介します。

こちらを選択した理由は二つあります。

理由その1は、お恥ずかしながら本書に載っている家の主として私が知っているのがこの井上靖のみだったこと。(本当に小説嫌いだということが分かると思います。)

そして、理由その2は、井上靖という人は、一つの場所にとどまることを知らない人で、学校も住む家も本当に何度も変えた人だったそうなのですが、その人が終の棲家として晩年の30年間を過ごしただけあって本当に素晴らしい家だったということです。

実際に、彼は1921年に静岡県立浜松中学校(現浜松北高校)に入学後、翌1922年に静岡県立沼津中学校(現沼津東高校)に転入。1927年に第四高等学校(現金沢大学理学部)に入学(このころ文学活動を本格化)し1930年卒業と同時に九州帝国大学法文学部(現九州大学文学部英文科)に入学、1932年に九州帝大中退と同時に京都帝国大学文学部哲学科に入学し、1936年同校卒業という経歴です。

もちろん、これに伴って住む場所も転々といているわけで、本書に寄稿されている長男の井上修一筑波大学名誉教授は、「これはもう転居癖といってよいレベルである」という感想を漏らしています。

そんな井上靖の終の棲家の写真がこちらです。

元来住まいについては全くこだわりがなかった井上靖が中学時代からの友人の建築家、磯山正氏に設計してもらい、文士風情が大きな家を持ってしまったときにするぐらいにどっしりとして軽薄なところが微塵もない豪邸でした。

ただ、息子である修一氏ら家族にとっては、編集者をはじめ様々なお客さんがあふれていてあまり居心地の良い家ではなかったようですが、それでも作家本人にしてみれば、生活空間に加え、多くの人々と交流する応接間と自らがこもって執筆に取り組める書斎を備えたこの豪邸は、作家としての創造性を掻き立てるのには申し分ないものだったと思います。

続いて、「書斎の達人」から印象的だった書斎の主として著述家の樋口裕一氏をご紹介します。

樋口氏のタイトルが「著述家」とされていましたが、私にとっては「予備校のスター講師」で実際に東進衛星予備校の小論文の講座でお世話になった恩師です。

田舎の高校では「小論文」というとっつきにくい科目を「教科」として体系的に教えてくれる先生はいませんでしたので、彼の体系的で論理的なビデオレッスンにどれほど救われたか分かりません。

今では「頭のいい人、悪い人の話し方」という100万部をこえるベストセラーの著者としてのほうが有名のようです。

本書では、上記の井上靖氏とは対照的な樋口先生の書斎を「穴蔵」と形容しつつ、次のように描写されています。

「書斎を見回すと樋口さんならではの書斎整理法が隠されている。ご本人は情報整理術など何もない、デスクの上はいつも乱雑と謙遜するがたぶん全情報は頭の中でストックされ、樋口流に整理整頓されているらしい。各人それぞれ情報整理法があるけれど、本や資料が一見ばらばらにおかれているように見えても、書斎の主が書籍や資料のありかをすべて頭の中で把握していれば全く問題はない。樋口さんの書斎は頭がいい人の書斎を彷彿とさせる。そして書斎の入り口をふさぐ数千冊にもおよび膨大な書籍の向こう側に、安らぎの空間が控える。それは樋口さんでなければ活用できない静謐で豊穣なる空間だ。ご自分の書斎を『穴蔵』と呼ぶが、『穴蔵』からベストセラーが誕生したのである。」

なるほど、圧倒的に膨大な量の資料との格闘の場である「書斎」の理想的な形というのは、その作家の数だけあるということのようです。

 

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