本を町の本屋で買うべき理由
2024年9月29日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
前回に引き続いて読売新聞「編集手帳」から。
私は基本的に読売新聞朝刊の「編集手帳」と「人生案内」、それから夕刊の「よみうり寸評」には、毎日目を通すようにしており、読み終わったものから古新聞用の段ボールに入れるようにしています。
ところが、珍しく読まれずに机の隅に放置され、古新聞に出されていなかった2024年8月28日のものを発見し、「編集手帳」にちょうど一か月遅れで目を通すことになりました。
その回の内容が、読書人としては非常に共感できるものだったので今回取り上げることにしました。
「最近の児童書は子供でなくても楽しめるものが多い。『大人も知らない?ふしぎ現象事典』に、懐かしい人の名前を見かけた。本屋にいると、どういうわけかトイレに行きたくなる――この現象は「青木まりこ現象」と呼ばれている。1985年、『本の雑誌』への青木まりこさん(ペンネーム)の投稿が大きな反響を呼んだことにさかのぼる。大学の友人が「書棚を眺めた途端に心配が期待に変わり、ふと安心してもよおすのでは」と語っていたのを思い出す。将来に不安を抱く学生の身に、いい本に出会って人生の助けになるとの期待である。評論家の外山滋比古さんは知らない本から一冊選ぶのは知的な作業であり、意外に大きな意味を持つと説いている。<人からもらった本がダメなのはその選択ができないからであり、図書館の本を読むのがおもしろくないのも、いくらか他力本願的なところがあるからである>(「乱読のセレンディピティ」)。インターネット書店のAIが購入のついでに薦めてくる本も同じではないか。人生への期待を伴う知的作業は、街の本屋さんでしかできない営みかもしれない。」
まず、この「青木まりこ現象」については、「人間の時間に関する感覚は、年をとればとるほど短く感じられる現象」(こちらについても、よみうり寸評に取り上げられていたものをすでにこのブログにて記事にしています。)とともに、私自身が確かに実感している「不思議な現象」の一つでしたので、そのかつてのよみうり寸評の記事と同じく興味深く読みました。
その結果、私は今までは「本のインクや紙の化学物質やにおいが刺激する」説が有力だと思っていましたが、この記事を読んで、「精神的な気持ちの高まり」説のほうにも負けず劣らず分があるような気がしてきました。
そして、著者の友人の「書棚を眺めた途端に心配が期待に変わり、ふと安心してもよおすのでは」にしても、外山先生の「知らない本から一冊選ぶという知的な興奮によってもよおす」にしても、読書の価値のかなりの部分は、確かに「本屋さんでしかできない営み」によってもたらされるという視点に思いっきり共感させられました。
私自身、アマゾンにおける「目的買い」が最近の読書活動のほとんどを占めていますが、「人生の助けにするという目的達成のために、少しでも自らの懐を犠牲にする覚悟を持ちつつ、一冊の本を選択する」ということの価値を求めて「あえて本屋に行くこと」も意識して行いたいと思います。
そう思ったら、なんだかそれだけでもよおしてきました。(笑)