本日は、お日柄もよく
2016年11月6日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
読書は、私の唯一といってもよい趣味なのですが、それには「小説以外」という条件が付きます。
書籍というメディアは、「知識を広める」という目的を達成するために考え出されたものだと思うのですが、まさにこの目的を実現するために最もいい形態をとっていると思います。
特に、自分のペースで進んでいけるところ。つまり、少しでも分からないところがあったら、自分の判断で勝手に止めてもいいですし、前の記述に関係するところが出てきて、その部分を再び確認するのも自由自在です。
しかし、小説(を含め物語)は、「感情」や「勢い」というものの表現も重要であるために、「映画」というより優れたメディアが発明された時点で、書籍は、受け手側に感動を与える力と言いう意味においては、最も言い形態の地位を映画に譲ったと考えるからです。(あくまでも、個人的な意見ですよ!念のため)
ですが、本書を読んで物語のメディアとしての小説を見直す機会になったような気がするのです。
本書の内容は掻い摘むと以下のようなものです。
「主人公であるOLのこと葉は、幼馴染の厚志の結婚式に最悪の気分で出席していた。ところが、その結婚式で涙があふれるほど感動する衝撃的なスピーチに出会う。それは伝説のスピーチライター久遠久美の祝辞だった。空気を一変させる言葉にことばにみせられてしまったこと葉はすぐに弟子入りする。久美の教えを受け、『政権交代』を叫ぶ野党のスピーチライターに抜擢された。彼女が担当する候補者はあの厚志だった。」
主人公のこと葉の成長を通して、人の心を言葉を使って揺さぶる「スピーチ」の仕方を伝える内容になっていました。
私はこの小説を読んで、「ためになった」と思えました。そして、この物語を「映画」で表現したのであれば、ここまでの「ためになった」という感覚を得ることはできなかったと思います。そういえば、この感覚を前にも味わったことを思い出しました。
それは、「ザ・ゴール」という機械メーカーの工場長を中心に繰り広げられる工場の業務改善プロセスを主題にした小説を読んだときでした。この本は、経営学の「制約条件の理論」、いわゆるボトルネックの理論を物語に載せて理解させるものでした。
物語という手法を書籍というメディアに載せた「小説」という形態は、「知識を広める」という目的に対して非常に有効だということに気づかされたのです。
おそらく、単なる実用書としての制約条件の理論の「書籍」よりも、そして同じ物語を取り直した「映画」よりも、この物語という手法を書籍というメディアに載せた「小説」という形態の方が何倍もその目的を効果的に達成することができるのだろうと思いました。
なぜなら、「スピーチ」や「経営学の理論」は、単なる知識とは異なり、それが実際に行われる状況というものが非常にその成否に関係してくるからです。つまり、単純に1+1=2の世界ではなく、それが実際に起こる「場所」や「タイミング」それから「雰囲気」などのあらゆる変数に影響を与えられるものであって、それを理解するためには、それらをできるだけ疑似体験した方が効果的だからです。
それは、小説には「書籍」の自分のペースで自由自在に理解をすすめることができるメリットと、「映画」の「感情」や「勢い」というものに近いものも感じられるメリットが同時に存在し得るからだと思います。
これを機に、小説もどんどん読んでいこうという心変わりまでには至ってはおりませんが、久しぶりに「小説」を読んでみて少なくとも物語の効用についてを考えさせられる機会をいただいたと思いました。