東大の最終決断
2018年10月15日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
ついに、2018年9月27日に東大が「最終決断をしたというニュース」がありました。
この決断を、英語教育の専門家として当たり前だと思うと同時に、その当たり前のことがなかなか実行できない事情を乗り越えて、当たり前の決断をされた東京大学に敬意を表したいと思います。
今回のニュース記事(毎日新聞)を要約します。
「東京大学は27日に記者会見を開き、2020年度に始まる大学入学共通テストの英語で導入が決まった民間資格・検定試験について、受験者からの成績提出を必須としないとする基本方針を正式発表した。国立大学協会は既に受験生全員に従来のマーク式試験と民間試験の両方を課すガイドラインを発表しており、他大学の判断に影響を与えることが必至となった。東大の決定に、国立大学協会の羽鳥政男・企画部長は「国大協のガイドラインは拘束力のないものなので、活用を強制はできない。大学として熟慮した結果だと思う」と静観する意向を示した。高校の教員らからは、東大の決定を歓迎する声が聞かれた。民間試験の導入を巡っては、高校の英語教育が民間試験対策になりかねないとの懸念も示されている。文部科学省の山田泰造・大学入試室長は「民間試験を使うかどうかは大学が判断すること。文科省としては4技能評価が目的であって、大学入試センターの英語成績提供システムの利用を求めているわけではない。」と述べた。」
今までの東京大学の紆余曲折については、以下のように三回にわたってこのブログで追ってきました。
なぜ私を含めかなりの英語教育関係者や東京大学がこの問題に反対するのかについては、これらの記事に詳述しているのでここでは省きますが、今回の記事の中の「高校の教師が東大の判断を歓迎する」という部分は、今までなかなか出てこなかった部分なので、今回はこの点について取り上げたいと思います。
「民間試験の導入を巡っては、高校の英語教育が民間試験対策になりかねないとの懸念も示されている。」
既に高校の授業が学問ではなく「受験対策」となってしまっているという批判が当たり前のようになって久しいですが(今回の大学入試改革も本来はその問題に対する対処の意味合いもあるはず)、その受験の中では、「センター試験」というのは「受験対策」が通用しにくい基本的な良問揃いだといえます。
同時に、これからの試験の在り方として、記憶に基づく唯一の正解を問うのではなく、自らの考え(知恵)を問う方向に変わっていかなければならないという考えは当然だと思います。
しかし、そのような試験をそもそも「統一試験」として行なわなければならない道理はありません。というか、それは無理だということに気づかなければなりません。
何十万もの受験生が一度に受けるような試験では、まず現在のセンター試験のような「基本的な良問」で最低限大学での学問に必要な知識を問い、選別した後、各大学が学生が自らが求める能力を持っているかどうかを調べるために自らの考え(知恵)を問う試験をそれぞれが作成することでしか実現されないのです。
ですから、そもそも私はこのセンター試験を廃止して「自らの考え(知恵)を問う」統一試験へ全教科移行するということ自体にも反対ですが、それ以上にこの英語での民間試験の導入については、ありえないと考えています。
この記事では、その理由を高校の先生がきちんと表明してくれたことにうれしく思いました。
先ほど申し上げたように、現在のセンター試験は「受験対策」が通用しにくい基本的な良問揃いです。しかし、TOEICをはじめとする民間試験は、実はその「受験対策」が通用しまくりの試験なのです。
このことは、TOEIC900(ほぼ満点)でもほとんど会話にならない人もいるという事実が証明しています。
それは、センター試験が年に一回しか行われないため、様々な研究が行われながら作成されるのに対して、これらの民間試験は年間に何度も何度も行われるため、その試験のパターンが完全に決まってしまっているからです。
そうなると、今までの日本の受験産業界で蓄積されてきた「受験テクニック」ノウハウが最大限に発揮されることになることは目に見えています。
それをこの記事の高校の先生は指摘しているのだと思います。
一度決定されたことはなかなか簡単には覆されないなら、この東京大学の決定が、この民間試験導入を有名無実化するきっかけとなることを望んでしまうほど、この問題はばかげた話です。
東京大学は、このばかげた話に対して当然のことを決断したと思っています。