
東方見聞録
2025年5月25日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
だいぶ前になりますが、NHKの「時をかけるテレビ」において、マルコ・ポーロの「東方見聞録」をモチーフにしたアニメ「マルコ・ポーロの冒険」(1979年~)を復活再放送するまでのテレビスタッフの奮闘を興味深く拝見しました。
今現在、その再放送が始まっているのですが、その構成がアニメのストーリーと当時実際にシルクロードをNHKの取材班が取材旅行した際の映像とを組み合わせるというもので、ストーリーの面白さとドキュメンタリー的な要素が相まって知的好奇心がくすぐられ、毎回欠かさず見ています。
そんな流れから、本物の「東方見聞録」を読んでみようということになった次第です。
実際に読んでみた感想としては、正直に言えばアジア人である私たちからすると期待外れの感は否めません。(旅行記としての面白さやワクワクさで言えば、NHKのアニメの方がずっと面白い!)
しかも、一番興味のある「日本(ジパング)」に関する記述は非常に短く、そしてほぼでたらめなことしか書かれていません。(おそらく、中国人から聞いた話をもとにしているので中国の伝説などとごっちゃになってしまっている可能性が高そうです。)
ただし、「ジパング」という言葉が、中国語の「日本国(ri ben guo)」の発音をヴェネチア人である彼が「ジーペングォ」→「ジパング」と聞き取ったことことによってできたのではないかという記述を本書の解説にて見つけたのは大きな収穫でした。
また、この「東方見聞録」ができるまでのエピソードも非常に興味深いものでした。
そもそも、東方見聞録は、マルコ・ポーロ、その父ニコロ・ポーロとその弟マフェオ・ポーロの故郷ヴェネチアからモンゴルによる中国王朝「元」の皇帝フビライ・ハーンの下までの旅、現地での滞在およびフビライの命による各地への旅、そしてヴェネチアへの帰還における実に26年間にわたる冒険譚を、後にマルコ・ポーロ本人による口述と持ち帰ったノートやメモをもとに本人とは別人が一冊にまとめ上げたものです。
これは、ヴェニスとジェノアによるクルツォラ沖の海戦にマルコ・ポーロが従軍しヴェニスの敗北とともにジェノア側の捕虜となって監獄にいた1298年(三人がヴェニスに帰還したのが1295年なので4年後)のことであり、実際に書き上げたその別人というのが偶然その監獄に捕虜としていたピサ出身のルスティケロという人物でした。
つまり、この東方見聞録は「旅行記」や「地理誌」という性格をもちながらも、本人が直接書いたものではなく、別人がマルコ本人から聴いた話をまとめた「伝聞記」の性格を持つ書物ということになります。
そしてもう一つ。
この冒険はマルコにとっては初めてのものでしたが、父ニコロとその弟マフェオにとっては二度目のものでした。
というのも、彼ら二人はすでにフビライ・ハーンに謁見しており、その際にキリスト教に興味を持ったフビライから、エルサレムにあるキリストの墓前の灯火の油と、キリスト教の教義に精通した100人の宗教学者を連れて来て、彼らにハーンの領内にいる学者たちとの公明正大な議論をさせて、キリスト教が他のいかなる信仰よりも優れた真理であることを証明してほしいという要望を受けており、それを実現するための旅だったということです。
このようなエピソードは、モンゴル人でありながら「元」という中国王朝を建国したことと合わせ、私の中でのフビライ・ハーンの一大帝国を恐怖で支配したただただ恐ろしいというイメージから、良いものはしっかりと継承するという非常に聡明なイメージへの転換につながりました。
ちなみに、その実現のために二人がイタリアに戻ったタイミングで教皇クレメント四世は亡くなっており、新しい教皇を決める「コンクラーベ」が開かれていたのですが、その期間が実に2年間かかったということで、その間ヴェネチアで足止めを食い、新しい教皇グレゴリー10世の命によって、キリスト墓前の灯火の油の採取と伝導団から2名(100名とはならず)の僧を引き連れての旅が始まったのです。
余談ではありますが、ここで先日の「コンクラーベ」のブログ記事で見た、「13世紀には最長で3年間かかったコンクラーベもあった」ということの一つの実例を見つけることができて、かなり興奮しました。
「でたらめが多い」という批判的な評価を書きましたが、しかし一方で、個人的には非常に気づきの多い一冊であったことは間違いありません。