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死にカタログ

2016年6月22日 CATEGORY - 代表ブログ

死にカタログ

皆さん、こんにちは。

前回ご紹介した「なぜデザインなのか。」の記事の中で、デザインの定義について言及しました。

一般的にイメージされる「装飾」という意味あいは、デザインの概念のごく一部を取り出しただけにすぎず、包括的なデザインの概念とは、「問題解決の技術」であるという定義です。

その説明の際に、「死にカタログ」という面白い本を紹介されていたので、すかさずアマゾンで購入し読んでみました。

これは、人間の死というものを時代、文化、場所など、様々な前提からイラストレーションという手法を用いてわかりやすく説明しようという試みの本でした。

「死」という本来的に理解しにくいものを、様々な方法を駆使して分かりやすく伝えることを追求するという、まさに、「問題解決」というデザインそのものの形だと思いました。

このように「死」というものが分かりやすく説明されるとどういうことが起きるのか、それは「死」というものの恐怖が薄れる感覚を得ることができます。

このことから思うに、人間が抱く「恐怖」というものは、「知らない」「分からない」という状態から発生する感情なのだと言えるのではないかということに気づきました。

しかも、「死」というものを日常から遠ざけてしまっている現代社会は、「死が分からないのではなく、(だけじゃなく)むしろ死から逃げている」状態だというべきかもしれません。

そんな現代社会に生きる「死」から遠ざかってしまっている私たちが、すこしでもこの状況を好転させる方法を本書では以下のように提案しています。

「『死』が恐ろしいのは、『死はそれまでの人生が津波のように襲ってくる』からです。死を前に、その人の中のあらゆることが凝縮するからです。死と向き合うというのは、結局自分の生き方と向き合うことです。では、具体的にどうしたらいいのか。それは、時折死の方から自分を振り返ってみる。死を前にしても、自分の人生に押しつぶされないように、できるだけまっすぐ、死について考えながら生活することが、今の僕にできる、死との付き合い方のように思いました。」

よく考えてみれば、少し前までは、このようなことは各家庭の中で普通に行われていました。自分の祖父母、父母の死に間近で対峙することで、当たり前のように「次は自分の番だ」ということを認識します。つまり、「死について考えながら生活すること」は何も、特別なことではなく誰にとっても当たり前のことだったというわけです。

「死」というものを、付き合うものではなく、忌み嫌ってやっつけるものだと信じて、平均寿命をここまで伸ばすことに成功した現代社会ですが、伸ばすことはできても、死をなくすことはできないわけで、結局はその分、死に対する恐怖を増幅してしまうことになってしまったのかもしれません。

この現代社会における死の受け入れに対するデザインはまだまだ改良の余地が満載のようです。

 

 

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