海賊と呼ばれた男
2017年3月5日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
昨年末に、「海賊と呼ばれた男」を映画館で見ました。
商業における「自由」について、そして現在のグローバル社会の基礎となっている「自由経済社会」というものの本質とそれに立ち向かうことの厳しさについて体感させてくれる非常にいい映画でした。
この映画の主人公国岡鐵造のモデルは、言わずと知れた出光興産創業者出光佐三氏です。
以下、私のこの映画に対する感動をお伝えするために、公表されている彼の人生について書いていきますが、話の流れとしてはほぼネタバレとなってしまいます。
念のため繰り返しますが、映画の主人公国岡鐵造の人生ではなく、公表されている実際の出光佐三氏の人生ですし、この映画の価値はこのあらすじにあるのではなく一つ一つの演技、表現にあると思いますのでご了承ください。
あらすじ自体も楽しみたい方は読まないようにしてください。
彼は、大学を卒業後、機械油などを取り扱う小さな会社に就職した後、石油小売り会社を25歳で設立します。
後発の小さな会社だったため、当時縄張りを重視するこの業界でやっていくのは至難の業でした。
そこで、彼が考えたのは、「海上」で顧客となる船に直接安い金額で石油を販売するという手法でした。
縄張りはあくまで「陸上」の問題であって、「海上」は誰のものではないためそこでの商売は「自由」だというわけです。
当然、どこよりも安く提供するわけですから、彼の会社は大きく成長します。
この時に、業界他社から、「海賊」と呼ばれたのです。
その後、彼は、満州鉄道の機関車の潤滑油が英国の石油メジャーに独占されており、その品質も劣悪なために、火災の原因にもなりかねないという状況を知り、満州へと渡ります。
ここで、彼は研究を重ねることにより、高品質で低価格な製品を開発することに成功し、満鉄に採用してもらおうと交渉します。
しかしながら、最終的には英国の石油メジャーの妨害工作により、断念するという悔しい思いをしています。
時は経って1953年、世界の石油市場は英国の石油メジャーにほぼ独占され、日本の石油販売業界においても、彼らの資本の傘下に入らなければ、石油を確保することができない状況となっていきました。
その中で、出光にも、その圧力がかかりますが、商業における「自由」を重視する彼は、それを拒否します。
当然、メジャーは出光に対して石油を供給する世界中の企業に対して圧力かけ、出光は完全に孤立させられてしまいます。
満州での悪夢が再びといったところです。
石油の販売会社に石油が入らないわけですから、彼は絶体絶命の窮地に立たされます。
ここで彼が繰り出した起死回生の一手が、イランからの直接買い付けです。
当時、イランは世界最大の石油埋蔵量を誇ると言われていましたが、独立国家でありながら、長い間、その支配権はメジャーの資本の元にあり、イラン国民にも利潤が充分に回らない状況にありました。
ところが、1951年にイランは突如石油の国有化を宣言し、石油メジャーおよびイギリスと対決します。
すかさずイギリスは、中東に軍艦を派遣し、イランから直接石油買付をしようとするタンカーは撃沈すると国際社会に表明し、事実上の経済制裁・禁輸措置を行うことでイランを生殺し状態にさせました。
そのような中で、出光は、イギリスのイランに対する経済制裁に国際法上の正当性は無いと判断し、自ら所有するタンカー日章丸をイランに送り、イギリス海軍の妨害を回避しながらついにイランから石油の直接買い付けに成功したのです。
極東の弱小石油会社が、当時世界二位の英国海軍に喧嘩を売ったうえで目的を達成したという意味で、彼は二度目の「海賊」になったのかもしれません。
ただし、彼はただの海賊ではありませんでした。
一回目も二回目も、法律を犯さないように自分の頭で考えて、商業における「自由」を貫き通しただけなのですから。
「自由経済」という名のもとにおける資本の力の支配に対して、商業における「自由」をもって対抗すること。
この現在のグローバル社会においても、企業家が大切にしなければならない「心意気」というものを教えていただいた気がします。