渡辺恒雄 読売新聞 代表取締役 主筆の逝去
2024年12月29日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
一時期には発行部数1000万部を超え、世界最大の新聞社となった読売新聞の代表取締役・主筆を1991年から実に33年にわたって続けてきた「ナベツネ」こと渡辺恒雄氏が2024年12月19日、肺炎のため、都内の病院で死去されたとのニュースに接しました。
ランゲッジ・ヴィレッジは創立初期から今に至るまで読売新聞に「小さな広告」を出させていただいているのですが、彼の存在については読売新聞はもとより読売巨人軍のオーナーとして「剛腕」を振るい、時には「選手ごときが!」などといった傲慢な発言で不評を買う「少しずれた」ワンマン経営者という、正直に言ってあまりよろしくない印象を持っていました。
しかし、先日(2024年12月28日)のNHKの「独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた 平成篇~」を見てその印象がかなり変わりました。
番組内では、現実的な視点に立った「保守」の立場を明確にしながらも、「戦争絶対反対」の視点に立って、当時の小泉首相の靖国参拝などを痛烈に批判する「リベラル」の立場を明確にするという、二度と日本を戦争に関わらせることなく現実の政治を安定化させるための「リアリスト的ジャーナリスト」としての唯一無二の彼の生きざまを描いていました。
具体的には、新聞紙面で政治の進むべき方向性を社論で展開する「提言報道」で、言論機関としての新たな境地を開き、1994年には「憲法改正試案」を発表し、自衛力保持や環境権の新設、憲法裁判所創設などを明記し、それまでタブー視されていた憲法論議に大きな一石を投じたり、2007年の福田総裁率いる自民党と小沢代表率いる民主党の「大連立」実現のため仲介役として奔走したりしました(結果的には民主党側がまとまり切らず構想は破綻)。
その構想がもし実現していたら、日本の現状はだいぶ(いい方向に)変わっていたはずだという番組内でのコメントが印象的でした。
このように見てみると、彼の「剛腕」は読売新聞という一企業はもちろんのこと、日本全体を「良い方向」に導いてくれたことがよく分かります。
ただそれでも、「読売新聞」にしても「日本全体」にしても、彼のような例外的な「剛腕」に95歳で亡くなるまで頼っり切ってしまって本当に良かったのかという疑問は大きく残ります。
折しも「新聞社」という業態自体がこのままの状態で生き残ることが不可能な状況の中、業界最大の読売新聞であっても今後の方向性を見出せずにここまで来てしまったという事実は、現状を変革するために若い世代に活躍の場を与えなかったことが原因ではなかったのか。
また、番組の中で渡辺氏本人が「日本の政治家が小粒になってしまった」という発言をされていましたが、それは世代交代を進めることをしてこなかった彼らの世代の責任が大きかったのではないか。
年末にこのニュースに接し、そのような複雑な気持ちにならざるを得ませんでした。