
異次元緩和の罪と罰
2024年10月30日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
以前にご紹介した「アベノミクスは何を殺したのか」の記事の中で私は、本書におけるアベノミクスの総括を次のようにまとめました。
「本書を読むことは私にとって、素人としての実感に対する答え合わせ的な意味を持つと考えました。その答え合わせの中で最も印象的だったのは、このやるべきことをやらずにやってはいけないことを10年もやってきてしまった日本が、今後どれだけの酬いを受けなければならないのかということと、では本来やるべきことは何だったのかということが生々しく指摘されていることでした。」
「やるべきこと」とは「成長戦略(規制緩和)」であり、「やってはいけないこと」とは「金融戦略(異次元緩和)」です。
この答え合わせに関する新しい書籍として「異次元緩和の罪と罰」が出ましたので早速読んでみました。
この本が目に留まったのは、その帯に書かれていた「私たちはこれからどんなツケを払うのか」というキャッチフレーズが強烈に印象的だったことと、著者が元日銀理事(もちろんその意思決定には参画されていません)だという事実からです。
以下、本書の趣旨をできる限り簡潔にまとめてみます。
かつての日銀白川総裁時代(かつてこのブログで「いらないものはいらない」という記事を書きました)の日銀のように、「本来こうあるべき論」を外さないということこそが「唯一の解決策」であり、目の前の困難から逃げるための対応には必ず大きな利息が付いてくるということが、本書からの「教訓」です。
故安倍首相と黒田前日銀総裁の異次元緩和の「罪」とは、一度その禁断の政策をとってしまったら、そこから抜け出すこと(出口戦略を実行すること)が絶望的に難しくなり、すべてを先送りにする「永遠の金融緩和」地獄を受け入れなければならなくしてしまったことです。
そして、その先に待ち受ける「罰」とは、究極的には日本経済の新陳代謝の停滞や経済の効率性の低下であり、ひいては「ハイパーインフレ」の可能性です。
現実に植田 現日銀総裁は、早急に出口戦略を実行しようとすれば金利の急騰や大幅な円高を招くリスクと、その対応を先送りすれば金融正常化がどんどん難しくなっていくリスクとの間で格闘しています。
というよりか、前者のリスクがあまりに大きいため、すべてを先送りにするしかない状況に追い込まれているというほうが正確かもしれません。
具体的には、2024年7月末に、利上げをしたことで、金融の正常化に向けて大きな一歩を踏み出したと市場に受け止められた結果、金融資本市場ではそれまでの取引を手仕舞う動きが広がり、大幅な円高と株安がもたらされ、市場を不安定化させてしまいました。
その後、彼は金融市場が不安定な状況では利上げは行わず、「当面、現在の水準で金融緩和をしっかりと続けていく」という発言をせざるを得なくなり、現在のところ道筋が不透明となってしまっています。
ではなぜ、故安倍首相と黒田 前日銀総裁はこのようなことになることが分かっていたのにもかかわらず、「異次元緩和」を実行してしまったのでしょうか。
その真意は、驚くべきことに、「信じる者は救われる」を実現しようとしたところにあると著者は言います。
2013年4月当時の黒田総裁は「日銀は消費者物価の上昇率2%を2年間で必ず達成する、その達成責任を全面的に負う」と言い切り、「それを実現するために戦力の逐次投入をせずに、現時点で必要な政策を全て講じた」と述べました。
しかも、「大切なのは前向きな姿勢と確信だ」として、ピーターパンが「飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう」という言葉まで引用したというのです。
つまりその真意は、国民に「物価上昇目標2%(デフレ脱却)は必ず達成される」と徹底的に信じ込ませることでもってそれを実現するという一点にあったということです。
しかし、実際には約束した2年では達成することはできず、9年後に実質賃金が上がらない中での円安からくる輸入価格の上昇による最悪な形で実現されることになってしまいました。
「欲しがりません勝つまでは」や「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の時代からこの国のメンタリティは全く成長していないということを否応なく確信させられてしまいました。