
知的生産のセンス
2026年9月23日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
「ハズレがない」ビジネス本の著者として一橋大学の楠木先生と独立研究者にして著作家の山口周氏の両者の著作を今までこのブログにおいて数多く紹介してきましたが、二人の共著としては2021年発刊の「仕事ができるとはどういうことか?」以来5年ぶりになる「知的生産のセンス」をご紹介します。
前著の結論は、従前は人間が担っていたスキルがどんどんAIへと外部化されて行くことで「スキルはデフレ(値段が下がり)センスはインフレ(値段が上がる)」ということでしたので、知的生産における唯一人間に残されたもの=センスの重要性を説くという意味で本書は前著の続編という位置づけになります。
そして、その議論はスキルにみられる「こうやったらうまくいく」という客観的な正解を求めるようなものではなく、「その人に固有の判断基準」という自分を主語にした主観的な次元のものにならざるを得ません。
ということはストレートな議論ではなく、試行錯誤を繰り返す中での判断基準や原理原則の突合せによってようやく見えてくる輪郭によって読者を納得させるというチャレンジングな議論にならざるを得なかったという楠木教授からの説明がありました。
そんな属人的かつ主観的な議論を非常にスマートにやってのけるお二人の議論を存分に楽しむことができました。
以下、その中で最も印象的だった部分をまとめてみます。
まず、技術革新によって供給サイドの効率が飛躍的に向上し、生産量が増大します。しかしそれは需要が並行して増えることを保証しません。したがって、最終的なボトルネックは常に需要側にある状態が続くことになります。
ですので、ビジネス(産業)に生身の人間がかかわる意義は、需要を創造(発明)し、その供給を吸収することにあるというわけです。
その一つの例として、繊維産業での「モード(流行)」の発明が挙げられます。
というのも、蒸気機関の発明によって製糸の生産性が格段に上がって大量の糸の在庫が積みあがり、その供給を吸収するため紡布に関する技術が開発され、続いて大量の布の在庫が積みあがる、という具合にどんどん供給側の「ボトルネック」は移動していきます。
そして最終的にデザイナーという存在によって「まだ着られる服を捨てさせる」という新しい価値観を生み出したデザイナーによってようやく需要側が創造され、供給と需要が一致することになるのです。
蒸気機関の発明もインターネットの発明もそしてAIの発明も、いわゆる「技術革新」と呼ばれるものですが、それらによって生産性向上が実現され、供給サイドのボトルネックがどんどん移動していきますが、それによって積み上げられた在庫を吸収する「需要」は技術(スキル)ではなく五感を備えた生身の人間の判断(センス)によってのみ作られるというわけです。
その違いを前提に人間とAIの関係を見るとこうなります。
「AIには『作業』を任せても『仕事』を任せるべきではない」
その二つの違いは、後者には「顧客に直接向き合って結果責任」が伴うけれども、前者にはそれが伴わないことです。
このことが良くわかる事例を本書より引用します。
「例えばレストラン『ジョエル・ロブション』を考えてみてください。多くの場合、料理のほとんどは本人以外のスタッフや場合によってはフライヤーやオーブン等の機械が作ったりしているわけですが、それでも客は『俺はロブションの料理を食べに来たのだからスタッフや機会を使わずに本人が作れ』とは言いません。本人が作ろうが機械が作ろうが、ロブションという屋号の下で、ロブションの結果責任の下で出された料理であればそれは紛れもなく『ロブションの仕事』なのです。スタッフは技術(スキル)を駆使して料理をする。一方、ロブション本人は調理しなくとも自分に固有のセンスをそこに注入する。スキルに基づく作業はどんどんAIが担っていくとしたら、人間に何が残るか。それはロブションの『ウィ』という判断(センス)です。」
そういうことなら、いくらAIによって農業生産性を上げたとしても、それを食べることができるのは生身の身体(胃)を持つ人間のみであるため、判断(センス)以前に私たち人間の価値は厳然として存在していることを再認識すべきかもしれません。
私たちはもっと自信をもってこれからのAI時代を生きて行っていいんだという前向きな気持ちにさせてもらいました。









