
終末格差
2025年3月11日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
かつては、「長老」という言葉が表すように、年を取ることに対する「憧れ」や「尊敬」というものが当たり前にあったはずが、昨今は「老後二千万円問題」「孤独死」などに代表されるように間違いなく消極的なイメージしか持てなくなっているのが現実だと思います。
そんな中で、そのような年齢層に確実に近づいてきてらっしゃる大学者ご自身がこの問題について語った本をご紹介します。
それはこのブログでも著書「アメリカはなぜ日本より豊かなのか?」をご紹介した一橋大学名誉教授の野口悠紀雄先生の「終末格差」です。
本書を読んで一番印象的だったのは、著者が「週末に関するアンナ・カレーニナの法則」と名付けている考え方です。
こちらについて以下まとめてみます。
これは、「終末における幸せ」をトルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の有名な「幸せな家庭は同じように幸せだが、不幸な家庭はそれぞれに不幸だ」という言葉をもじって「幸せな終末は同じように幸せだが、不幸な終末はそれぞれに不幸だ」と表現したものです。
ここで著者は、終末の幸不幸を決定する条件は以下の三つだとしています。
①終末に至るまで健康であること(健康条件)
②経済的に困窮していないこと(経済条件)
③家族の仲が良いこと(家族の関係性条件)
しかも、これら三つは必要条件であって十分条件ではない、すなわち「終末における幸せ」はこれら三つをすべて満たす形のみでしかありえないというものです。
だから、「終末における幸せ」は非常に条件が狭いため、結果的に同じような姿に見え、これらが一つでも欠ければ該当してしまう「不幸な終末」は必然的にいろいろな姿がありえてしまうのです。
ならば、努力してこの三つを満たそうということになるわけですが、ことはそう単純ではありません。
なぜなら、これらの条件には優先順位があるという事実と私たちの努力でコントロールできることが少ないという事実があるからです。
例えば、「お金があるけど不健康」と「健康だけどお金がない」の事象であれば、どちらも全体的な「幸せ」ではない、すなわち不幸ながらもほとんどの場合、後者の方が「不幸」の度合いは小さいということ。
そして、健康と経済的安定では不確実性は前者の方が圧倒的に高く、また後者であれば若いうちからの努力である程度はコントロールが効くはずだという意味です。
そして、三つめの「家族の関係性」については本書にはほとんど言及がありませんでしたが、それは健康以上に不確実性とコントロール不可能性が高い、というか経済と健康が両方が成立しないと実現が難しいという意味で考慮しても仕方がないということなのだと思います。
つまり、私たちが「終末における幸せ」を実現するために意識してコントロールの努力をすべきは、「経済条件」しかないのではないかということです。
本書はそのために有用な知識と情報を多数提供してくれていますが、それらを総合すると、私たちが注力すべきは金融商品でも土地でもない、リスキリングを含めた自分自身に対する「投資」しかないという結論に至っています。