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経営学は科学ではなく論理だ

2025年1月5日 CATEGORY - 代表ブログ

前回、一橋大学の楠木教授の「戦略と経営についての論考」という書籍をご紹介しましたが、その中のトピックで一つだけどうしても特別に取り上げたいものがございまして、今回はそちらのテーマで書きたいと思います。

それは、著者の「経営学は『科学』ではない。だからその目的は『法則』の定立ではなく『論理』の提供である。」という従前から一貫した主張についてです。

これはつまり、経営学の目的が、「このようにしなさい」という具体的な解決案を提供することではなく、「こう考えたらどうでしょうか」とか「要するにこういうことではないでしょうか」という経営者がよって立つべき軸足とでもいうべき抽象的な知見の提供だということです。

このことは今までも著者の様々な本の中で言われていたことなのですが、本書はそれらの文章を取捨選択してエッセンスとでもいうべきものを集めたものだけあってそのことの意味をよりよく伝えられていると感じました。

以下にその内容をできるだけ簡潔にまとめてみたいと思います。

「人間は期待されれば頑張る」というのは「法則」ではなく「論理」で、「期待」と「頑張り」という2つの変数の関係をがっちりと制御する「法則」はないが、その通りとしか言いようがない、これこそが「論理」だということです。

そして、この二つが変数であるという「不確実性」の中で結果を出す人が「経営者」ということになります。

つまりは、今後いかに「経営学」が進化したとしても永久に「科学」になることはありえず、それはこのたった二つの変数だけをもって考えたとしてもそのとおりで、実際の経営においてはどのくらいの変数の数が関わってくるか想像しただけで、まさに真理としか言いようがありません。

このように、経営学が「法則」ではなく「論理」だということが分かったうえで、その論理の優劣の評価とはどのようなものかと考えてみると、このようになります。

「ベストセラーではなくロングセラーであること」

すなわち、論理は瞬間最大速度ではなく、巡航速度がどれくらいかでの評価すべきものだということです。

ただ、「論理などなくとも立派に経営に成功している人もいるではないか」という主張もまたその通り。しかし、そうでない人の方が圧倒的に多い上に、企業の規模が大きくなればより複雑性は増す(変数が増える)ためその傾向は強くなっていきます。

むしろそうだからこそ、経営学はまさに「法則」ではなく「論理」だということをよりよく表しているように思います。

どうでしょうか。

もともと抽象的な議論ですが、このように説明されるとかなりそのイメージが湧いてきませんか?

その意味でいうと近江商人の「三方よし」の考え方や、私の恩師、一橋大学名誉教授 村田和彦先生の「経営学原理」の考え方は、筋金入りのロングセラー「論理」と言えるのではないでしょうか。

村田先生は、私が大学生だった2000年頃、「株主第一主義」が唯一の経営における正解だと誰もが信じる雰囲気の中、全く意に介さず、ご自分の経営学原理として「企業のステイクホルダーは経営者と株主だけでなく、取引先、従業員、そして市民社会までも含む」という考え方を「愚直」に説いていました。

今となっては、経営学におけるこの「三方よし」は、それぞれの時代状況によって三つのうちのどこに特に力を入れるかという多少の変化はあったとしても、どれか一つにのみ力を入れるべきだとする当時の大勢の考えは「論理」ではないということがよく分かります。

なぜなら、「株主第一主義」全盛の時代にもおそらくトヨタは従業員や系列のこともしっかりとケアしつつ、株主も十分に満足させていたはずで、当時ももちろん、というよりはその当時からそのような考えを貫いていたからこそ、今のような人手不足の時代でも、堂々とした経営を維持でき利益を確保できていると考えられるからです。

この著者の主張にはいつもにもまして、本当にしびれさせていただきました。

 

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