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続・万博レガシーとは

2025年10月14日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

昨日(2025年10月13日)、2025大阪万博が6カ月の開催日程を終え、閉幕しました。

この万博に関しては、そもそも誘致の時点から賛成・反対の両意見がぶつかり合って、このご時世にしかも先進国である日本で開催する「意味」があるかどうかの議論の前に「採算」が合うはずがないという意見がかなり大きかったと記憶しています。

実際、私自身も「意味」の見地からも「採算」の見地からも反対の立場でした。

ところが、蓋を開けてみれば、毎日大賑わいで最終的にチケットを持っていても予約ができないチケット難民が発生するほど大盛況。

この事実を前に、私を含めた反対派の判断は少なくとも「採算」の見地からは誤っていたということを率直に認めるべきだと思っています。(しかも、それくらい日本人は海外のことに触れたいのだということが分かり、ポジティブな感想を持ちました。)

しかしながら、開催後間もない時期に実際に会場を訪れ現場を体感した私は、「意味」の見地からはそれでも反対の立場を崩すことができず、「万博のレガシーとは」という記事の中で以下のような辛辣な感想を書きました。

「このような圧倒的な木材の使用量とこの人手不足の中で膨大な労働量を費やして作ったこの大屋根リングを、たった6カ月しか開催しない万博のためだけに建設し、終了したら解体撤去ということが計画されているという事実に、元々『もったいない』という気持ちを持ってはいましたが、実際にこの目で見て登ってみたことで、どうしようもない失望感と怒りの感情が一気に湧き上がってきたのです。一部は『万博レガシー』とし『残す』などといった話も出ているようですが、そもそもこれだけの木材をこの短期間のイベントのためだけに使用しようとするその意思決定の(あえて言わせてください)下品さにあきれ果ててしまいました。」

閉幕が差し迫った2025年10月2日、この大屋根リングの今後の取扱いについて産経新聞が「ウェブ記事」をアップしていましたので以下にその内容を要約します。

「大屋根リングの閉幕後の活用を巡り、一部木材が能登半島地震で被災した石川県珠洲市の復興公営住宅の資材として使用されることが1日、同市への取材で分かった。リングは一部を会場跡地に残し、大阪市が公園などとして整備する方針が示されているが、具体的なリユース方法が判明するのは初めて。日本国際博覧会協会は持続可能な万博運営を掲げ、リングやパビリオンで使われた部材を積極的に再利用し、資源の有効利用を目指している。珠洲市などによると、協会が7月末に木材の譲渡先を公募。市内で被災者のための仮設住宅の設計に携わった建築家の坂茂さんの勧めで、「復興事業での活用」を目的に8月中旬に応募した。11月にも協会と正式契約し、来年3~4月に木材を受け取る予定という。能登半島地震は、万博会場の工事が進められていた2024年1月に発生。工事の重機や資材を被災地の復旧や復興にあてるべきだとの批判が起き、万博の延期や中止を求める声も上がった。リングについては、北東約200メートルを会場跡地に保存し、大阪市が一帯を公園・緑地として整備する方針となっている。」

ちなみに、当記事内の「リングは一部を会場跡地に残し、大阪市が公園などとして整備する方針」については、日刊SPAの記事に詳しく書かれていましたのでこちらも該当部分を要約します。

「9月16日、万博協会と大阪市は最終的に200mの部分保存を選択。周辺を『公園・緑地等』として整備する方針を発表した。世界最大の木造建築としてギネス認定を受けた巨大建造物は、その全貌を未来に伝えることなく、“切り取られた象徴”として存続することになった。ランドスケープの専門家・増田昇氏は『多様な文化を縁(リンク)で包む』という設計思想からすれば全体保存が原則で1970年に開催された大阪万博の太陽の塔のようにシンボル化したいのならなおさらですと語る。全体保存については民間で署名運動が行われ、関西7大学の理事・学長らが共同声明を出すなど要望が高まっていた。しかし、大屋根リングはそもそも半年間の万博開催を前提に建てられており、長期使用は想定されていなかったため、維持コストの問題などから“妥協案”として現状に収まったという見方が強い。」

残す部分と残さない部分の利用の方法について大方の方針ができたというのが両記事の内容となりましょうか。

とはいえ、その両方について当初から何らかの方針というものがない状態で「ダントツで世界最大の木造建築物」を作りながらも、閉幕間際にようやくその行く末がおぼろげに決まるということにはやはり私は大きな違和感を覚えざるを得ませんでした。

残す部分にしても行き当たりばったり、残さない部分の利用の方法についても行き当たりばったり。

もちろん、能登の被災者のために使われるのはいいことでしょう。

しかし、本来そのために作られたものではないものを無理に使うよりは、能登の復興のためにはもっと迅速にそして効率的にやるべきことが他にあったはずです。

「持続可能性」をテーマにした万博だからこそ、そこは「行き当たりばったり」では許されないと思うのです。

 

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