繁栄は凋落の条件
2021年1月15日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
前々回と前回に引き続き「エコロジー的発想のすすめ」の中からテーマをいただいて書きますが、今回のテーマは「万物は流転する」です。
この言葉は、古代ギリシャの自然哲学者ヘラクレイトスが「自然界は絶えず変化している」という意味で語った言葉ですが、この言葉も「エコロジー的発想」に立脚していると著者は言います。
まずは、この点について、著者の指摘を以下に引用します。
「生態学の主要な概念の一つに遷移というものがある。裸の岩石はそのままでいない。それに植物である地衣類がつき、その岩石を少しだけ侵食して土を作る。するとそこにもう少し大きなコケ類がつき、地衣類を押しのけてより多くの土を作る。やがてそこに種子植物が育ち、だんだんと小さな植物から大きな植物が育ち、森が形成されていく。一応、それ以上は変化しないという安定した状態になった時、それは極相(クライマックス)に達したと言われる。大体裸の岩石から森になるまでに千年かかると言われている。しかし、クライマックスは永遠に続かない。ただ、自然の歴史に比べて人類史はあまりにも短いので定かなことは言えないが、非常に古い森では『老衰』とでも名付けられるような現象が起きていることが観察されている。このように、自然においては万物が常に変わり続ける。生々流転が自然の実相である。」
続いて、著者はそれをもう少し私たちの生活実感を伴った現象に当てはめて「繁栄は凋落の条件」と言っています。
その点についても著者の指摘を引用します。
「遷移はなぜ起きるのだろうか?生物はその時、その所での環境に最も適応したものが栄える。しかし、ある生物が反映すると、その生物の繁栄それ自体が別の環境を作り出す。その環境はその生物よりも別の生物にとっての繁栄の条件を作り出す。その時代に最も栄えているものは、常にその次の時代に栄える者のための土壌を用意しているのである。魚類の時代は両生類の時代を準備し、両生類の時代は爬虫類の時代を準備し、爬虫類の時代は哺乳類の時代を準備した。そして現在は哺乳類の一部である人類の時代である。この遷移の系列が人類の時代をもって終わるということは生物学的な常識から考えられない。もし人間が自ら変えてしまった新しい環境に生物学的に適応できなくなれば地球の支配権は次の生物に譲らなければならないのは明らかである。」
非常に恐ろしいことが書いてありますが、つまりは「盛者必衰の理」であり、私たち日本人にとっては平家物語が書かれて以降ずっと当たり前のように教えられてきたことです。
ただ、著者は人類もその「盛者必衰の理」から逃れられない運命をたどりつつあるとの指摘をしつつも、次のような可能性に言及して少しだけ希望を持たせてくれています。
「生物がその機能を完全に発揮するためには、最適条件よりもむしろ我慢状態の方がよいのである。雑草が力強いのは、最適条件になるのを人為的に抑えられているからである。雑草は生えるそばから抜かれる。雑草はそれに対抗して、自分の持てる力を振り絞って生命を維持しようとする。これが雑草の強さを生む。それに対して人類は自然の中に最適条件を作り出すために数千年にわたって奮闘してきた。そのせいもあって、総人口が爆発地点に差し掛かろうとしている。その結果、現代文明の上に垂れこめているのは倦怠の空気である。ただ、他の生物と人類が違うところは危機を認識して、危機の意識を持つことができる点である。その意識が最適条件の中に敢えて我慢状態を作り出して、危機を切り抜けさせる可能性はある。」
つまりは、人類に残された生き残るための方策があるとすれば、それは、ストイックを極めて「マゾになる」ということです。
著者が本書を書かれた1970年代にはなかった「SDGs」はその一つの大きな動きでしょうし、以前にご紹介した「コミュニズム」の発想もその種の一つかもしれません。
しかし、その取り組みは「ストイック」と表現できるほどの勢いがついているとはとても思えません。