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翻訳語成立事情

2024年9月11日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

今までに「翻訳」というテーマについて、例えば「翻訳と日本の近代」「文明の本質」「日本だけが急激な欧米化に成功した理由」などの記事において、明治以降の翻訳の日本語における重要性について何度も確認してきました。

これらの本は、明治の時代に先人たちが築き上げた「翻訳語」を、我々日本人にとって非常に大切な資産として認識をすることができたという点で、非常に有益であったことは間違いないのですが、それぞれの「翻訳語」がどのようなプロセスを経て生み出されたのかというその「成立事情」については触れられていませんでした。

翻訳語成立事情」という本書のタイトルが目に入った時、まさにそのことに関する知的好奇心がむくむくと湧き上がってきて、すぐさまアマゾンで買ってしまいました。

今回の記事では「社会」という翻訳語ができるまでの事情をまとめることで、往時の苦労と現代に続くその難しさについて考えてみたいと思います。

一番古くとしては、1814年、長崎の通詞だった本木正栄による日本最初の英和辞書『あんげりあ語林大成』にてsocietyに『侶伴(そうばん)』があてられている。これは伴侶と同じ意味だ。1862年、堀達之助の『英和対訳袖珍辞書』では、『仲間、交リ、一致』があてられている。1867年、『ヘボン式ローマ字』表記で知られているJ.C.Hepburnの『和英語林集成』では『仲間(nakama)、組(kumi)、連中(renchiu)、社中(shachiu)』という訳語をあてられている。さて、これらの訳を見回してみると、societyに相当する訳語がいずれも狭い範囲の人間関係を表す言葉で表現されているということに気づく。

ではそもそもsocietyという英語そのものの意味を『オックスフォード英語辞典』に見てみると、

(1)仲間の人々との結びつき、とくに友人同士の親しみのこもった結びつき、仲間同士の集まり

(2)同じ種類の者同士の結びつき、集まり、交際における生活状態、または生活条件。調和の取れた共存という目的や、互いの利益、防衛などのため、個人の集合体が用いている生活の組織、やり方

などと述べられている。

これまで見てきた日本の辞書の訳語はどれも、(1)の意味の狭い範囲の人間関係ならば、当時の日本人にも似たような事実を見出すことができたのである。がしかし、(2)の意味においては広い範囲の人間関係という現実そのものがなかった。したがって、それを語る言葉がなかったのである。当時、「国」とか「藩」などという言葉はあったが、societyは、究極的には、この(2)でも述べられているように、個人individualを単位とする人間関係である。狭い意味でも広い意味でもそうである。「国」や「藩」では人々は身分として存在しているのであって、個人としてではない。

societyの翻訳の最大の問題は、この(2)の、広い範囲の人間関係を、日本語によってどうとらえるかであったと言える。

つづいて、1868年、福沢諭吉が「交際」という言葉を翻訳語として当てた。この言葉は伝来の日本語であるので、その時にはもともとの意味とともに、societyの翻訳語としての意味を両立させていたということになる。つまり、もともとの意味として(1)の意味、そしてこの意味から出発し、(2)の広い人間関係を表す意味を作り出そうとしたのである。

そして、中村正直は、1872年にJ.S.ミルの「自由之理」の翻訳の中でsocietyの訳語として「世間」「仲間」「会社」「総体人」など実に様々な言葉を当てている。ここで「会社」が出てくるが、「社」という言葉で同じ目的を持った人々の集まりやその名前を指す使い方は、例えば「新聞社」など日本でも明治以前からあった。

この「社」という言葉が、福沢諭吉、西周、加藤弘之、森有礼、中村正直などが集まった「明六社」が発行する「明六雑誌」があるが、この雑誌によって明治の初めに流行語に押し上げられることになったが、この雑誌がsocietyと日本語のこの「社」と「会」という二つの漢字の対応に一役も二役も買うこととなる。

1874年、この雑誌の第二号の文章に、「すなわち民間志気の振るうなり、社会の立つなり極めて可なり。」という「社会」を含む文が初めて出てくるが、この「社会の立つ」の主語である社会とは、「明六社」のように目的を持って集まった人々の集合を指していることが見受けられる。

その後、中村正直はこの雑誌の第十六号に「各々が会社を設け、公同の益を謀るを『ソサイエティ』という。」と書いており、会社はsocietyの中に含まれているということが読み取れる。

*ちなみに、フランス語で会社はsocieteというのでそれはあたっていると思われます。

こうして、「明六社」を中心とする人々の間で、このころ「社会」や「会社」はsocietyとかなり近いところで使われる言葉になっていたが、それはあくまでも(1)の狭い意味においてであり、この時点では(2)の広い意味までは及んでいない。

そして、1876年、福沢諭吉の「学問のすすめ」において、「彼の士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども、まず栄誉の性質を詳らかにせざるべからず。(中略)社会の人事はことごとく皆、虚をもってなるものにあらず。」という言葉を登場させている。

これは、「世間」という言葉はそもそも日本語として千年以上の歴史を持っている語感の豊かな日常語でありながら、societyとはかなり共通点もある中で、ここで新造語の「社会」をあえてその「世間」と並立させることで、似たものでありながらも新しいがゆえに「肯定的価値」と「抽象的意味」を持つ別の言葉として成立させたということ。

このことで初めて(2)の広い意味の方へ及んだと確認でき、「社会」という言葉がsocietyの翻訳語として成立したと考えられる。

この新たに造語された「社会」には、元の「社」の語感も「会」の語感も乏しい。このような翻訳造語「社会」にはsocietyとの意味のずれは確かにほとんどない。がしかし、逆に言えば共通部分もほとんどないことになる。

このころ作られた翻訳語、とりわけ学問・思想の基本的な用語にはこのような漢字二字でできたものが多い。

これらは、外来の新しい意味の言葉に対して、意味のずれを避けるためにこちらの側の伝来の言葉をあてず、あえて語感の乏しい「意味のうすい」言葉として作られたともいえる。

しかし、一旦創り出されると、意味は当然そこにあるはずであるかの如く扱われる。(使っている当人はよく分からなくても言葉自体が深遠な意味を本来持っているかの如くみなされる。)

文脈の中に置かれたこういう言葉は、他の言葉との具体的な脈略がかけていても、抽象的なままで使用されるのである。このことを本書では「カセット効果」と呼んでいる。カセットとは、「宝石箱のことで中に何が入っているか分からなくても人を引き付けるもの」である。

以上のように見てくると、なぜ日本人は「選挙」に行かず、せっかくの「民主主義」を大事にしない(できない)のかという疑問の答えが見えてくるような気がしました。

つまり、明治の時代に作られた新しい造語による翻訳語には基本的にこの「カセット効果」が生じており、私達は常に分かったつもりの「浮っついた」言語活動・思考活動をせざるを得ないという意味です。

それこそが、冒頭の「現代に続くその難しさ」という表現の真意であり、そうなると「明治の時代に先人たちが築き上げた大切な資産」という考えには、もう少ししっかりとした精査が必要になるのかもしれません。

 

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