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言葉の海へ

2025年7月4日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前に、「言語のルールと進化」という記事の中で映画「舟を編む」をご紹介しました。

この映画は、ある出版社の寄せ集め編集部が、気の遠くなるような歳月をかけて「大渡海」という二十数万語が収録された新辞書作りに挑む姿をユーモラスに描いたものだったのですが、実はこの映画と同名のNHKの連続ドラマ「舟を編む~私辞書を作ります~」が今シーズン始まりました。

映画もとても良かったのですが、今回のドラマは連続ものだけあってより細かく、そして深く描写がなされており非常にいい感じに話が展開しており、欠かさず見ています。

その中で「おっ!」と思ったことがあります。

それはその辞書作りの監修をしている偉い大学の先生役を柴田恭兵が実に渋く演じているのですが、その教授と編集員の一人である主人公の女性の間でちょっとした対立の場面でした。

その教授は、「大渡海」の編集方針として「言葉のルールとしてはでたらめなものでも幅広く使用されれば認めるべき」という考えを掲げているにもかかわらず、主人公のが提案した「恋愛」の定義の中で従来の「男女間の」というのを「人間同士の」というLGBTQの方々に配慮をする内容に変更するべきだという案の視点自体を評価しつつも、即却下したのです。

そしてその理由として、「辞書」は安定性を重視すべきものであるから、その言葉に関する世の中の流れが確定するまで「観察」し続ける必要があるのだという説明によって主人公を諭したのでした。

これを見て私はかつてのブログ記事の中で次のようなことを書いたことを思い出しました。

「監修者の偉い言語学の先生が、コギャルの集まる場所で真剣にギャル語収集をしている中で、彼女たちに『キモイ』と言われるところはまさに『チョベリグ』な描写でした。」

私が前回の記事を書いたのが2014年4月9日ですので、すでに10年以上の歳月が過ぎたわけですが、その文の中の「キモイ」という言葉は現在でも確かに健在ですが、「チョベリグ」はもはや誰も使っていません。

この時私は、「広さ」と「深さ」が両立した言葉だけを掬い上げる辞書作りの大変さを強烈に実感しました。

前置きが非常に長くなってしまいましたが、今回取り上げるのは、この「大渡海」という架空の辞書のモデルとなった「(大)言海」という辞書を明治時代に作り上げた大槻文彦という人物の伝記である「言葉の海へ」という本を読みましたのでご紹介します。

大槻文彦は、1875年当時文部省に勤務していて、上司に国語辞典の編纂を命ぜられ、国家の仕事として辞書編纂を開始しました。

初稿は1882年に成立したのですが校閲に4年をかけ、1886年にようやく完成したにもかかわらず予算が足りずに出版が立ち消えそうになり、1888年に自費出版を条件に文部省から稿本が下げ渡しされ、結局1891年、つまり足掛け17年をかけて完成したものです。

国家として「日本が近代国家の仲間入りをするためには、日本語という国語を統一する必要があるから我が国にも国語辞典が必要だ」という大義をもって始めた国家事業であった割に、予算が足りない(お雇い外国人の給与には莫大な予算をつけても)という非常に情けない理由で頓挫してしまったものを、大槻文彦この人個人の仕事として成し遂げたなどということは、私を含めほとんどの日本人が知らなかったことであり、1978発刊という私と同級生の本書によってようやく世の中に知らしめることができたということは、あまりに遅きに失したと言わざるを得ません。

以下に「大槻文彦」と「言海」の関係がよく分かる本書の一節を引用します。

「物を表すには自分を排除しなくてはならない。大槻文彦は頑固なくらいそれに徹した。しかし、『言海』の紙背(しはい:紙の裏の意)にはいつでも大槻文彦がいる。見出し語の選択にも、語源の説明にも、語義の解釈にも、その文体にも、文彦が自分を抑えるほどに、大槻文彦が浮かんでくる。『大槻文彦』の全生涯が凝っている。この辞書は、一人の人間が17年間、自分を顕すまい、物を顕そうと努めながら、こ古今雅俗の語と格闘し、自国語の統一を目指して作り上げたものである。その裏に抑えがたく生まれた個人の色であった。」

このような背景を知ってしまうと、この大槻文彦に対する尊敬の念とともに、このような国家的プロジェクトをいとも簡単に国家として諦め、その責任を一個人に背負わせてしまった日本という国の「国語」に対する意識の低さに愕然とします。

というのも、私は自らが主宰する「英文法講座」の講義の際に、英語と日本語の比較において、英語の論理性の高さに対して日本語の論理性の低さを指摘しなければならないことがあまりにも頻繁にあって、情けない気持ちになることがあります。

例えば、英語では「I was surprized (by somebody).」「I was surtisfied (with something).」というような内容の文は、必ず「他動詞の受身形」で表現されます。

それに対して日本語では、「驚いた」「満足した」というように「自動詞」で表現されるのが一般的にです。

しかし、これは論理的におかしいことです。

なぜなら、私たちは自分自身で「驚」いたり「満足」したりすることはできず、必ず他者の動作の結果として「驚かされ」たり、「満足させられ」たりすることしかできないのですから、「自動詞」ではありえないからです。

また、日本語では「夕食を美味しくいただきました。」「字を美しく書きます。」ということを何の違和感もなく表現します。

そして、これらを英語に直してくださいというと、ほぼ100%の受講者さんが、同じく何の違和感もなく「I ate dinner deliciously.」「I wrote letters beautifully.」としてしまいます。

しかし、ここでの「美しく」は「letters」を形容するためのものであって、「write」を修飾するものではありません。

もし、「美しく」は副詞なのだから「write」という動詞を修飾しているんだと主張したら、それならば、その字を書く人が美しく踊りながら「write」しているようなシチュエーションを想像せざるを得ないからです。

つまり、単語の文法的品詞の役割と、実際の運用が整理されずに言語を使用するような混乱状況を平気で受け入れてしまっているのが日本語だと思うのです。

英語をはじめとするヨーロッパ言語の多くではこのようなことはほとんど見られないはずです。

このあたりのことも、日本が「自国語の統一」という国家プロジェクトを、大槻文彦という一個人に押し付けてしまったことが一因なのではないか、私は本書を読んでそう思ってしまいました。

 

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