
鎌倉時代の日本語の発音について
2025年6月15日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
「日本語の発音はどう変わってきたか」の中で解説されている各時代ごとの日本語の特徴について見ていくシリーズの第三回目は「鎌倉時代」です。
第一回目(奈良時代)と二回目(平安時代)の中心は「発音」の変化でしたが、鎌倉時代は発音の「表記」の仕方の変化に大きな特徴があります。
というのも、前回の「平安時代の発音の変化」で見た、「ハ行転呼音」と「『ゐ・ゑ・を』の『い・え・お』への合流」によって表記の混乱を引き起こすことになってしまったため、平仮名だけで表記されるテキストを読むのに大きな問題を抱えるようになったため、その問題への対処が必要となったからです。
この状況に最も敏感に反応したのが歌人 藤原定家(1162-1241)でした。
彼は、平安時代に作られた「文芸作品」に対する解釈と注釈をした最も古い人の一人で、綴りの混乱そのものに対して、「どうにかしなければならない」という強い問題意識を持ち、具体的な混乱対策として「下官集(げかんしゅう)」で古典古文を書き記す(仮名遣い)際の留意事項を示しました。
それは、なんとなくその必要性に駆られたからというものではなく、非常に明確に、そして世の中の流れとは関係なく、自発的・意識的に始めたことが次の彼の言葉からはっきり分かります。
「他人は総じてこのようなことをしていない。これを意図して実践した先達の例もない。これはただ私自身の愚意の判断による僻案の極みである。周囲の親疎老少は一人としてこれに賛同する者もない。これも道理であろう。まして当世の人の書く文字使用の狼藉ぶりは言うまでもない。古人の用例にさえ誤ることがあるのは心中遺憾とするところである。(現代語訳)」
その中で次のようにそれぞれ数語ずつ実例を挙げて指示しています。
「を」と書くものとして、「ちりぬるを」「をみなへし」 「をとは山」「をくら山」「たまのを」
「お」と書くものとして、「おほかた」「おもふ」「おしむ」「おきのは」
「え」と書くものとして、「まつかえ」「たちえ」「ほつえ」「しつえ」
「へ」と書くものとして、「うへのきぬ」「しろたへ」「としをへて」「ことのゆへ」
以来、「下官集」は、古典テクスト再建(正しい仮名遣い)のための稽古の手本となりました。
ここまでの説明では藤原定家の業績のすごさがあまりよく分からなかったのですが、本書の次のような説明で納得がいきました。
「要するに仮名遣いとは、語の表記に際して一音に仮名が複数対応するような場合に、どの仮名を選択すべきかに関する基準である。例えば、現代日本語で言えば、watashiwa(わたしは)という発音を最初のwaは『わ』、終わりのwaは『は』と書かなければならないというのが仮名遣いである。発音と表記にこのようなずれが存在するのは合理的ではないが、文節という文の要素の存在を示すには有効に機能している側面がある。徹底した表音用法では果たせない文法上の役割を果たしている。何もかも表音的に表せばよいというものではない。表音文字体系には、文意の理解を補強するためにこのような不合理をあえて残すことがある。このように部分的に発音と表記が一致しなくても、少し学習すれば問題にならない。」
続いてもう一つ藤原定家の大業績として「漢字仮名交じり文」を発明したことが挙げられます。
そもそも、平安時代に平仮名が創り出された後の古典テクストは、ほぼ平仮名のみで書かれたメリハリのないものでした。
例えば、「古今和歌集」に収められた平安時代前期(900年代前半)に活躍した紀貫之の歌は、こんな感じです。
「としのうちにはるはきにけりひとと せをこそとやいはむことしとやいはむ はるのたちけるひよめる きのつらゆき」
一方で、その同じ紀貫之の歌を1226年に藤原定家が書写したものは、こんな感じです。
「年の内に春はきにけりひとと せをこそいはむこととしとや いはむ はるたちける日よめる 紀貫之」
定家は和歌のところどころに漢字を配置するという方針をもって写本していることが分かります。
仮名遣いによる表語機能と漢字の表語機能とを併せて実現した「漢字仮名交じり表記」が読み手にとって、語の認知と歌意の速やかな理解を促進する役割を果たすということは現代人の私たちにはすぐに分かることです。
ですが、コロンブスの卵みたいなもので、それを藤原定家がやって見せるまでは、その効果に誰一人として気づくことがなかったという事実があります。
そしてそれ以降、和歌の表記は総仮名から漢字仮名交じりへと大きく移行していくのです。
現代人の私たちも毎日その恩恵に大いにあずかっているこの一大イノベーションを、冒頭の彼の愚痴のような言葉からも分かる通り、誰も賛同者のいない孤立した状況でたった一人で成し遂げたということに驚かされます。
藤原定家は本当の天才だと思います。