頭がいい人、悪い人の話し方
2024年11月23日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
以前にご紹介した「書斎の達人」の中で印象的だった書斎の主として著述家でありベストセラー「頭のいい人、悪い人の話し方」の著者である樋口裕一氏をご紹介しました。
樋口先生は、私にとってリモート(当時はそんな言葉は存在していませんが)ではありながらもれっきとした「恩師」であると勝手に認識させていただいております。
それなのにも関わらず、この大ベストセラー本を読んでいないことに気づき、大変遅ればせながら読ませていただいた次第です。
本書では、全部で40種類の「頭の悪い人」の話し方の特徴を出して、そのどこが愚かなのかを解説することで、結果的に「頭の良い人」の話し方がどいうものであるべきかを理解させる作りになっています。
それを読み進めれば進めるほど、自分の話し方がいかに「頭の悪い人」の話し方の特徴を有しているかと認識せざるを得なくなり、どんどん恥ずかしくなっていきます。(笑)
もちろん、それぞれの特徴ごとに程度の差はありますが、多くの項目で確実に該当してしまっているのです。
ただ、今回本書を読むことで一番良かったことは、そのような恥ずかしさを真正面から受け入れることで、自分自身の「話し方」またその前提である「考え方」をメタ認知することができたということです。
突然、「メタ認知」なんて言葉を出してしまうと、11番目の「難解なことを言って煙に巻く」に該当してしまいそうなので、こちらについてはかつてのブログ記事で取り上げていますのでこちらをご参照ください。
以下に、私が最も印象的だった項目を三つ引用してみたいと思います。
まず一つ目は、1番目の「道徳的説教ばかりする」です。
「道徳は一人前になった人間に押し付けるものではない。人にはそれぞれ価値観がある。そうしたことをこれらの人は理解できず愚かさを人前にさらしているのだ。まず、物事は道徳では動いていないこと、道徳を説教しても、ほとんどの場合意味がないことを知るべきだ。不道徳な行動をとる人も道徳を知らずに行動しているわけではなく、道徳を知ったうえでそれを否定しているわけだ。道徳を説くのはまだ社会道徳を知らない子供に限るべきだ。」
これについては、以前に記事でご紹介した二宮尊徳の以下の言葉からも理解が可能です。
「経済なき道徳は寝言であり、道徳なき経済は犯罪である。」
そして、二つ目は、4番目の「自分の価値観だけですべてを判断する」です。
「当然のことだが、最終的にはあらゆることを自分の価値観で判断する必要がある。しかし、だからと言ってそれだけで判断するべきではない。大切なのは、自分以外の価値観があることを想像し、他人の行動の理由を洞察することだ。教養とは自分とは別の価値観も許容するということだ。自分だけの狭い価値観にとらわれず、別の価値観を理解し、広い視野に立って判断できるということだ。自分の価値観から一歩も出ないで、別の価値観で行動する他人を断罪するのは、知的な態度とは言えない。」
本書が発刊された20年前はまだ「多様性」という言葉がこのことを指す言葉として一般化されていなかった可能性が高いです。自分が自分の価値観を持っていることを自覚しつつ、他者がそれとは別の価値観を持つことを当たり前と思うこと。現在のような「多様性」という使い勝手の良い言葉が使っていないからこそ心に響くのかもしれません。
最後の三つめは、17番目の「自分のことしか話さない」です。
「この種の人は相手の話に関心があるわけではない。関心は自分及び自分の周囲のことに限られている。だから、相手が話していても、ほとんど耳を傾けていない。自分がしゃべりだす機会を狙っているだけなのだ。だから、初対面では会話が弾んで面白い人と思われることがあっても、結局は嫌われ、愚かだと思われるだけだ。言うまでもなく対話は相手を理解し合い、交流し合うことによって成り立つ。この種の人が愚かに見えるのは、その基本を理解していないからだ。話し相手を舞台の観客であるかのように考え、自分をアピールすることばかり考えている。これではコミュニケーションは成り立たない。」
これら三つとも、私にとって身に覚えがある項目です。
そして、正直に告白しますが、三つ目の「自分のことしか話さない」の特徴が三つの中で最も顕著だと自己判断し、猛烈に反省した次第です。(笑)
この恥ずかしさをバネに、しっかりと一生をかけて修正していきたいと思います。