
高峰秀子の流儀
2025年5月11日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
前回の「高峰秀子 ベスト・エッセイ」で高峰秀子ご自身の文章を堪能したに引き続き、高峰秀子を間近に見続けてきた養女 斎藤明美氏が書かれた「高峰秀子の流儀」をご紹介します。
ちなみに、本書は一橋大学の楠木建教授が「仕事と生活についての雑記」の中で、高峰秀子の哲学や精神、つまり「人となり」を今に伝える本の中で最初に読むべき本としてお勧めされているものです。
高峰秀子の「人となり」を最も端的に表現しているものとしてあの「司馬遼太郎」が語った
「いったいどういう教育を受ければ、こんな人間が出来上がるのだろう」
という言葉が挙げられていました。
そして、司馬遼太郎が言う「こんな人間」とはどういう人間なのかということについては、本書の否定形で統一された各章の「タイトル」をまとめてみたらおそらくそれになるのではないでしょうか。
それはつまり、
「動じない」「求めない」「期待しない」「振り返らない」「迷わない」「甘えない」「変わらない」「怠らない」「媚びない」「驕らない」「こだわらない」
という「ないない尽くし」の人となりです。
そのような高峰秀子の「人となり」を作るに至った要因は何なのか、それを探ることこそが本書の最大の狙いだったと著者は言いますが、その要因を一つにまとめてしてしまったら、その狙いを達せられない(だからこそのこれだけ多くのないない尽くしの章立てなので)ことは分かりながらも、この司馬遼太郎先生の疑問への回答となるような見方を、本書の記述から抽出してみたいと思います。
高峰の性格は、愛情たっぷり育ててくれた実母の死後、養母・志げ(実父の妹)に引き取られ、5歳から子役として、そして大人になってからの女優時代までずっと彼女を金づるとしか見ていない養母を含む親戚一同の生活を担わなければならなくなった境遇が大いに関係している。
その境遇から逃げだしたくも、逃げれば親戚十何人が飢え死にするという責任感のなかで、考えても仕方のないことは考えない、自分の中で握りつぶすという思考を身に着けた。
しかし、一方で、子役から女優という特殊な職業人生の中で、(前回記事に登場した)川口松太郎氏や文芸春秋社の池島信平氏などとびぬけて度量が広く『厚意』にあつい人々、そして夫となる松山善三との出会いがあった。
この極端な反面教師とこれまた極端な理想的ロールモデルの両方が彼女の人格に唯一無二の化学反応をもたらしたのではないか。
いずれにしても、楠木教授、司馬遼太郎先生という私自身が傾倒する御大たちがここまで絶賛する人物について知り、その底知れぬ人間力に触れる機会を得られたことが何よりも収穫だったと思っています。