代表ブログ

高峰秀子 ベスト・エッセイ

2025年5月11日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

一橋大学の楠木建教授の「仕事と生活についての雑記」を以前にご紹介しましたが、実はその中に高峰秀子という女優さんを次のように絶賛しているくだりがありました。

「自分が最も影響を受けた人を挙げなさいと言われたら、僕は躊躇なく女優 高峰秀子と答えます。」

私が普段から尊敬しその著書から大きな影響を受けていると自認しているあの楠木先生をして、その最も影響を受けた人物が彼の専門の競争戦略の大家マイケル・ポーターでもなく、私の世代では知る人も少ないはずのかつての大女優の本がなぜ?とかなりの衝撃を受けた記憶があります。

僕ら世代では、ほとんどが「誰?」となってしまうかと思いますが、壺井栄の小説「二十四の瞳」の映画の主演女優さんということであれば、かろうじてもしかしてといったところかもしれません。

楠木教授はなぜ彼女を自身が最も影響を受けた人にあげたかを以下のような言葉で説明をされています。

「動じない、求めない、期待しない、振り返らない、迷わない、甘えない、変わらない、こだわらない。『何をしないのか』が非常に明確である。僕はそこに、究極のジリツを感じます。ジリツには2つあって、自分を律する意味での『自律』と、自分で立つという意味での『自立』。人間として一番大切なこの2つのジリツを、高峰さんは見事に両立しています。高峰さんがお持ちだったさまざまな価値観を僕なりに一言で表すと、『潔さ』。『潔く生きるとはどういうことなのか』という問いに対するほぼ完全な回答が、高峰さんが生涯を懸けて練り上げた生活哲学に含まれています。それはひたすら高峰さんご自身のためであり、社会のためにもなっている。利他と利己が完全に溶け合った、生活芸術のようなものです。だれもが、仕事をする人である以前に生活者です。高峰さんは生活者として最上の手本と言えます。」

ここまでの評を書かれた人がいると知ってそのままにしておくほど私も無感動な人間ではありませんので、例によってすぐにアマゾンで高峰秀子の著作を何冊か購入していままで寝かせておいたものをこのGWに読ませていただくことになりました。

そのうちの一冊が「高峰秀子 ベスト・エッセイ」です。

あくまでも、上記の言葉は楠木教授が彼女の本を読んで感じたものであるはずのなので、私自身が彼女の本を読むことで同じような感想を持つまでになるのかどうか、それが本書を読むうえでの私の最大の関心事でした。

そして、その結果は次の内容に遭遇したことで完全に楠木教授のポイントを理解しました。

その内容とは高峰秀子が生涯を共にした松山善三との結婚にまつわる本人の記述です。

「私は感動していた私の旨の中にさわやかな風が吹き込むような気がした。世の中にこんなに率直で素直な人間がいるのだろうか?いや一人いることは分かった。独身の女優というものは不便なもので男性と二人でやたらと歩き回るのは何かとヤバイ。すぐにゴシップの種になって血祭りにあげられる。すれっからしの私は何を言われようが掻き立てられようがお構いなしだが、相手の男性に迷惑が掛かっては申し訳ない。のっけから美味しいものを食べさせて点を稼ごうとしたわけではないけれど、西銀座にあったフランス料理店レストラン・シドは私の行きつけの店で不安がなかった。」

話はこれでは終わりません。いやここからが本題です。

というのも、秀子が公私にわたって全幅の信頼をおいていた川口松太郎氏に自分の生涯の伴侶としようとする相手に対する見る目を確かめてほしいと合わせたときの川口氏の発言に関する記述が以下です。

「驚いたね、お前.あの男はまるでお前の亭主になるために生まれてきたみたいな奴じゃねえか、どこもかしこもさ、世の中うまくしたもんだ、と思ったよ、俺は。」

これらの文章に彼女の全てが凝縮されていて、楠木教授をして「高峰さんは生活者として最上の手本と言えます。」と言わしめる理由が手に取るようにわかるようでした。

実際、芸能界という魑魅魍魎の跋扈する世界の第一線で夫婦ともに活躍する中で、死が二人を分かつまでそのような素晴らしい関係を維持し続けたわけで、川口氏のここでの一瞬の判断は確かなものだったということが良くわかるエピソードでした。

今回は、高峰秀子本人の文章からご本人の在りし日のありようを垣間見ることにしたわけですが、次回はその彼女をもう少し客観的にとらえるべく、雑誌の取材がきっかけで夫妻と懇意となり2009年にふたりから養女として迎えられることになった斎藤明美氏が書かれた「高峰秀子の流儀」をご紹介したいと思います。

高峰秀子、松山善三、斎藤明美の三名のプロフィールはこちら

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆