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魂の経営

2021年2月19日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回、イノベーションのジレンマに打ち勝った経営の実例を豊富に紹介した名著「両利きの経営」をご紹介しました。

その記事の中で、特に取り上げたのが「アマゾン」のジェフ・ベソスCEOの経営でしたが、実は本書の中でそのアマゾンのジェフ・ベソスと同列に両利きの経営の典型例として高く評価されている日本企業の経営者がいます。

それは、富士フィルムCEOである古森重隆氏です。

彼は、本業である写真フィルム産業自体の消滅という絶体絶命の危機に打ち勝った富士フィルムの「第二創業者」とも評される名経営者です。

日本人の経営者が米国の著名な経営学者にアマゾンと並ぶ成功例として取り上げられていることに、日本人として何とも言えない誇らしさを感じてしまい、早速、古森氏の著書「魂の経営」を読みましたのでご紹介します。

古森氏が富士フィルムの社長に就任した2000年は写真フィルム事業の売上が「絶頂」に達した年でした。

(「絶頂」とはそこが頂で後は下がるだけのポイント。つまり、それは後になってそれが絶頂だと分かるわけであって、その時はそれを「読む」「感じる」ことしかできない。)

富士フィルムという会社は1934年に写真フィルム製造を本業として創業された会社で、その写真フィルム事業はその創業から66年という長い期間をかけてその「絶頂」を迎えたことになります。

しかし、そのたった10年後にはこの会社の写真フィルム事業の売上が1/10以下になってしまっていることを考えると、自社が基盤とする産業の「絶頂」というものに対する見方ほどその評価が難しいものはないと思わざるを得ません。

経営者にとってこの「絶頂」を「チャンス」「ピンチ」のどちらとしてみるのかその見方がどれだけ重要なのかを恐ろしいまでに考えさせられました。

そして、企業がその経営を「絶頂」を「ピンチ」として明確に認識する能力を持つ人物を経営者に迎えられるという幸運に恵まれるか、そうでないかという偶然の結果に任せてしまうわけにはいかないということを強く感じさせられました。

古森氏自身は若手時代からデジタル化の脅威を感じ、それに備えて新規事業の立ち上げの必要性について何度も声をあげていました。そして、その中のいくつかは実際に取り上げられたわけですが、それらも大部分が成功までの途中でとん挫するという経験をされています。

その理由は、デジタル化の脅威がある程度認識されだした時期であっても、本業である写真フィルム事業が、その時点では高収益で高シェアを維持していたからです。

その典型例として挙げられていたのが、1986年の「写ルンです」の大ヒットです。

私も本当によく覚えていますが、旅行と言えば写ルンです、運動会と言えば写ルンです。というように、ありとあらゆるイベントとともに富士フィルムの「写ルンです」があったと言っても過言ではありませんでした。

このことからも、特定の人物がどれだけデジタル化の脅威を感じて、社内でそのリスクを声高に叫んだとしても、それをまともに取り上げて、最高潮である既存事業に水を差すような新規事業を強力に推進するというのは本当に難しいということが分かります。

また、古森氏自身が、その反対者の反応についてもその時点では合理的であったと振り返って評価しているところからも理解することができます。

古森氏のここから社長就任の年である2000年までの14年間という期間は、本業消失の「危機感」とそれとは全く裏腹の本業の「絶頂」との間の板挟み、すなわち「イノベーションのジレンマ」に苦しみ続けた時間であると言えると思います。

そして、同時に強く感じたのは、この「イノベーションのジレンマ」を明確に自覚しながら奮闘していた人物が、2000年という時間的にギリギリのタイミングで最高意思決定者になったことが富士フィルムを救うことになったポイントだということです。

このように書くと、やはり富士フィルムのケースは幸運に過ぎないように思えてきますが、企業は基本的にゴーイングコンサーンを前提としているわけで、このことをある程度計画的に行っていくというのが「両利きの経営」なわけです。

であるならば、その時々の経営者は、このギリギリのタイミングを見計らいながら、常に若手・中堅社員の中から「イノベーションのジレンマ」を自覚しながら奮闘している逸材を見つけ出すことこそが自らの最も重要な役割であると認識する必要があるということだと思います。

 

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