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ある日突然ビートルズがなくなったら

2020年5月25日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

私は昔から、もしミスチル、サザン、山下達郎などヒット曲を時代を超えて量産し続けることができるミュージシャンのいずれかが突然この世から存在を消し、自分だけがそのヒット曲の数々を知っているという状態になったらどうだろうというような妄想をすることがあります。

先日、まさにそんな妄想をそのまま描いたような映画を見ました。

ビートルズが突然この世から存在を消し、ただ一人その存在を知る売れないミュージシャンを主人公にした2019年公開の「YESTERDAY」です。

この一年前にはクイーンの軌跡を描いた「ボヘミアンラプソディー」がミュージカルとは異なる音楽と映像の融合の形を提案して大ヒットしましたが、この映画もこの形に含められると思います。

映画のストーリーと音楽を両方一度に楽しむことができるという意味での魅力が十分に発揮されていました。

ですが、今回私がこのブログに書こうとしているのはその側面の魅力ではなく、やはり自分の妄想とこの映画の「答え合わせ」的な側面についてです。

ミスチル、サザン、山下達郎が作る作品は誰がどう考えても少なくとも日本人であれば半数以上の人が心をとらえてしまうある意味「絶対的」な価値を持っている、ビートルズに至ってはその枠が世界中のということになると私は思っていました。

だから私の妄想の中では、毎回それらの曲は出した瞬間にヒットにつながります。

しかし、本作品の中では、あのビートルズの「YESTERDAY」も「LET IT BE」も多くの人にとっては「ちょっといい曲」という評価がまず大勢を占め、その価値は「絶対的」ではないところからスタートするのでした。

これは意外でした。

ただ、やはりその中でもほんの一部ですがその曲の価値を「即座」に見抜く人がいます。その人たちの数や影響力の大きさによってその価値が「相対的」なものから「絶対的」なものになっていくということがこの映画の一つの大きな主題であったように感じました。

つまり、世の中の評価に関する方程式は以下のようなものではないかと。

「世の中の評価」=その作品の「本質的な価値」×相対的に評価する人の「数」×その人たちの「影響力」

そして、一度この「世の中の評価」が閾値まで到達すれば、そのミュージシャン自身が「影響力」となるため、それ以降の彼らの作品の世の中の評価は継続的に安定的に評価されるのだと。

当たり前のことかもしれませんが、映画の中で「YESTERDAY」や「LET IT BE」が世の中全体に評価されるまでに時間がかかったことについて、一般的な人間の鑑識眼というのはあまり当てにならないと言うことを思い知らされた感じがしました。

だからこそ、一度「影響力」を持った人間にとっては、自らの作品を生み出すこととともに、まだ日の目を見ない「本物」の価値を世の中に伝えてあげるということも一つの大きな仕事(責任)なのではないかと思いました。

 

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