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どこを見ての「発展」か

2021年1月13日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回ご紹介した「エコロジー的発想のすすめ」の中で、私たち人類が今まで「発展」としてとらえてきた自分たちの営みが、実はエコロジーの発想、すなわち「関係」のつながりに視点をあわせて見直してみると、実はそれは「発展」とはとても呼べないもののように思えてくることに気づかされました。

なぜなら、私たちが考える「発展」とは、単なる「個別(サブ)システム」の中だけで短絡的な効率化を進めた結果ではなかったかということが明らかにされるからです。

以下にその部分についての本書の記述を引用します。

「人間の文明はトータルシステムの一部に過ぎないサブシステムを知り得た技術によって『改良』することによって成立してきた。例えば、歩行によって成立する原始的輸送システムを、車輪と動力機関の発明によって。採集と狩猟による自然の食物供給を、農耕と牧畜による人為的食物供給システムの開発によって。そして、農耕においては天敵による害虫駆除システムを農薬による害虫撲滅システムに置き換えることによって。しかし、サブシステム内では有効に働く技術が、しばしばトータルシステムの中では弊害をもたらすのである。穀物増産のための農薬が害虫のみならず他の小生物を皆殺しにした結果、生態系のバランスが壊れて逆に害虫の大発生を見たりというように。」

人類の発展の歴史は、人類が地球全体という「トータルシステム」が存在することを知らない、もしくは知っていてもそれは無視していいと勘違いしている間、「個別(サブ)システム」である輸送システムや食物供給システムという狭い範囲内での「改良」を進めた結果、実際にはそれらが構成する地球という「トータルシステム」に対する大きな「破壊行為」の歴史であったということです。

人類は、長い間この事実をその長い間知らずに「純粋無垢」な気持ちで、その「改良」を完全なる「善」だと思い込んで、そこにエネルギーをつぎ込んできました。

これは人類の歴史のほとんどの期間では、単純に「無知」が引き起こしてしまった避けられない結果だったと言えます。

しかし、近代になって人類はこの事実を知ることになりました。ですが、私たちはそれは「無視していい」と勘違いしていました。

ここまでは、「過失」と評価するべきかもしれません。

しかし、現代の私たちは、ほとんどの人が「持続不可能」であるということに気づいてしまいました。にもかかわらず、私たちはそれを本来ある形に戻す行動をとっていません。

そうなるともはやこれは「故意」となります。

果たしてこの著者の指摘を受けた今でも、私たちは歩行による原始的輸送システムや採集狩猟による自然の食物供給システムよりも車輪と動力機関の発明や人為的食物供給システムの開発の方を「発展」と呼べるのでしょうか。

むしろ、私たちの歴史は、地球という「トータルシステム」に対する大きな「破壊行為」という愚かな行為の蓄積ではなかったか。

今、私たちが選択を変えなければ、私たちの運命は「崩壊」への道のりで確定してします。

ですがもし、選択を変えることができれば、それは「発展」への道のりの途中という形に書き換えることができます。

その選択の判断に残された時間はほとんどないようですが。

 

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