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テストの「見直し」嫌いについて

2019年5月20日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2019年5月14日)の読売新聞朝刊「編集手帳」に私にとって本当に「胸のすく思い」のする文章がありましたので喜んでご紹介します。

まず、あらかじめお断りしておきますが、おそらくこれを読むほとんどの日本人の方が私のこの気持ちを理解できないと思いますが、それでもこの「胸のすく思い」をお伝えしたくて書きますので、少々お付き合いください。(笑)

私は、小学生のころからテストの「見直し」が大嫌いでした。

理由ははっきりしているわけではありませんが、それを自分なりに考えると「見直し」という作業になんとなく生産性が感じられないからというのが一番近いような気がします。

さすがの私でもテスト時間に余裕がある時はしますが、時間がない時は少しでも、未知の問題と格闘していたほうが「生産性」が高いように感じてしまうからです。

実際に、大人になってもその傾向は変わらず、例えば、ランゲッジ・ヴィレッジ特製のカレンダー(calendar)の英語スペルを(callendar)と間違えて印刷にかけてしまうこともありました。

私以外の全スタッフから、それではまずい(特に語学学校でスペルミスは致命的)という指摘を受けそれ以降、必ず別のスタッフの目を複数入れることにしています。

しかし、私個人としては、「絶対にこの(callendar)が『カレンダー』を意味するということ以外に誤解は生じえず、実質的な問題は全くないのだから」という理由から大きな問題としてとらえていないというが正直なところです。

つまり、「見直し」という作業によって得られる効用は、すでに終了し、そこに存在しているものに「間違い」があるかないか確認するだけなので、その「間違い」が存在する確率は非常に低い(と私が勝手に感じているだけですが)以上かなり限定的だと考えます。

それならば未知の問題、現在世の中に存在していないものに時間を費やした方が、自分の気持ち的に価値が高いような気がしてしまうからなのです。

(ただし、実際にはそこに「間違い」がある確率は私が感じているよりもかなり高いということが経験上分かってはいますので、あくまでもこれは私の性格、もしくは価値観の問題だととらえられます。ですから、スタッフや家族をはじめ私の周辺の理解は全く得られていないだろうことも理解はしています。)

こんな前置きをしつつ、「編集手帳」の中に見つけた私のような「見直し嫌い」にとって「胸のすくような」文章を以下に引用します。

「オーストラリアの新50ドル札に印刷ミスが見つかったという。生き生きした存在ならこちらも負けていない。正しくはRESPONSIBILITY(責任)のうち、最後のIが抜け落ちていた。人の手に間違いをさせる神様のお告げは、<なんびとも責任の中にI(愛)を忘れぬように>だろうか。すでに約4600万枚が発行され回収の予定はない。この数であれば、欲望からプレミア付きで売ろうとする人は少ないだろう。その辺りも神様はお見通しのような。」

「絶対にこの(RESPONSIBILTY)が『責任』を意味するということ以外に誤解は生じえず、また、4600万枚も発行しているので、この間違いによるプレミアがついて貨幣としての機能を損ねることも考えられないことから、実質的な問題は全くないのだから」という私のカレンダーの理屈と同じ理由だと推測します。

私はこのオーストラリア政府の「回収の予定はない」というスタンスに心の底から賛同いたします。(笑)

 

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