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なぜ一流は三流に牛耳られるのか

2020年7月23日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

以前、「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」という本を紹介して、「アート」とは「非合理」ではなく、「超合理」な存在であり、「論理」や「理性」でやれるところまでやったなら、あとはこの「超合理」に問題解決を任せることの重要性を指摘しました。

この指摘があまりにも興味深いものであったため、著者の本書に続く新書「劣化するオッサン社会の処方箋~なぜ一流は三流に牛耳られるのか~」を読みました。

これがまた、前著を凌ぐ鋭い視点が光る良書でしたのでご紹介したいと思います。

まず、誰もが気になるのが本書のタイトルの中にある「オッサン」という名詞の存在だと思いますが、これを著者は以下のように定義しています。

「『大きなモノガタリ』つまり『いい学校を卒業して大企業に就職すれば一生豊かで幸福に暮らせる』という昭和後期の物語を信じてキャリアを積んだにもかかわらず、バブルの崩壊によってそれが全くの幻想であったことに気づかされながらも、その過酷な『モノガタリ』に対応できる能力がないため、社会や会社に対して『約束が違う』という恨みを抱えることとなった人々。ただし、これは割合として現在50~60代に多いということであって、中高年の男性すべてが当てはまるものではなく、逆に若者であっても、思考・行動がそのようであればオッサンに分類されるべきです。」

ちなみに、著者は「オッサン」の思考・行動の典型として以下の4つをあげています。

1.古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する

2.過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない

3.階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下のものを軽く見る

4.よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

一方で、私たち就職氷河期世代は、それが幻想であるということを前提として社会に入っているので、自分たちの立場が厳しいものであることは認識していますが、それは当然のこととして理解しているので、少なくとも社会や会社に対してそれを恨みに思うことはないのとは対照的です。

この「恨み」が、この世代の人々が「まるで幼児のように些細なことに切れて暴れまわるような劣化したオッサン」と化す割合が高い理由だと著者は分析しています。

現代の社会や会社の中で権力を握っているのが、まさに「オッサン」であり、そのことが「失われた30年」と言われるような日本の劣化を招いている原因だと著者は指摘します。

これはこれで非常に興味深かったのですが、私が前著を凌ぐ鋭い視点だと思ったのはこの部分ではなく、本書の副題ともなっている「なぜ一流は三流に牛耳られるのか」という分析でした。

著者の分析によれば、日本の社会がこのような劣化した「オッサン」によって占領されるようになってしまった原因がまさにその「一流は三流に牛耳られ」るという宿命の結果だというのです。

以下に、著者が分析する「一流は三流に牛耳られ」るという宿命が作られる流れをまとめてみます。

「それは『組織のリーダーは構造的・宿命的に経時劣化する』からです。まず、二流の人は自分が本当は二流であり、誰が一流なのかを知っています。一流の人は人を押しのけて権力を握ることに興味がないので、自分や他人が何流かということを考えません。三流の人は、往々にして周囲にいる二流の人を一流だと勘違いしており、二流の人をヨイショしながらウロチョロする一方で、本物の一流については、自分の物差しでは測れない、よく分からない人たちだと考えます。この構造を人数の比率で考えれば、一流は二流より圧倒的に少なく、二流は三流より圧倒的に少ない。つまり、三流が数の上では圧倒的な多数派です。従って、『数』がパワーとなる現代の市場や組織において、構造的に最初に大きな権力を握るのはいつも大量にいる三流から支持される二流ということになります。『数の勝負』に勝とうと思えば三流にウケなければなりません。」

う~ん。本当に鋭い指摘です。「数の勝負」の最たるものである「民主主義」において選挙という公平な仕組によって行われるはずの政治がここまでうまくいかない理由がすごくよく分かります。

そして続きます。

「少数の二流の人は多数の三流の人から賞賛を浴びながらも実際のところは誰が本当の一流なのかを知っているので、地位が上がれば上がるほどに自分のメッキがはがれることを恐れるようになります。従って二流の人が社会的な権力を手にすると、周辺にいる一流の人を抹殺しようとします。それによって組織の長として権力を盤石なものにすると、その人にこびへつらって権力のおこぼれにあずかろうとする三流の人たちが集まります。二流の人は一流の人を側近としては用いず、扱いやすい三流の人を重用するようになります。やがて、二流のリーダーが引退し、三流のフォロワーが権力を持つようになると、さらにレベルの低い三流が周辺を固め、組織はビジョンを失い、モラルは崩壊し、最低な組織が出来上がります。」

恐ろしいけれど、その通りだと言わざるを得ないと私は感じました。

この宿命から日本社会が逃れるためには、私たち一人一人が三流の典型である「オッサン」化しないことを心掛けた生き方をしていく必要がありそうです。

 

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