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不道徳教育講座

2019年8月18日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

世の中には、本音を言っても「炎上」しない人としてしまう人、また「炎上」したとしてもその職業人生を奪われない人と奪われてしまう人というものがいるものです。

例えば、ビートたけしさんはそもそも「炎上」しない人でしょうし、橋下徹さんや微妙なところところですが麻生太郎さんなんかは「炎上」したとしてもその職業人生を奪われない人にあたるように思います。

ですが、これらの人たちはむしろ例外的であって、ほとんどの人たちは本音を言うことで「炎上」の危険があるということを認識していて、「本音」を避ける傾向があるように思います。

しかし、芸能人や政治家という世の中にメッセージを届けることが仕事である人々はむしろその「本音」から逃げるべきではないと思います。

「本音」をその背後にある論理とともに世の中にぶつけ、理解させることこそが彼らの仕事だと思うからです。

それができている人が、ビートたけしさんであり、橋下徹さんであると思うのです。

では、どうしたらその「本音」の背景にある論理をきちんととらえて、世の中に理解させることができるのか、その参考書になりそうな本を見つけました。

非常に古い本ですが、三島由紀夫の「不道徳教育講座」です。

本書は、1958年雑誌「週刊明星」にその創刊から約一年まで連載されたものを単行本として中央公論社から刊行されたものです。

「大いにうそをつくべし」「弱い者いじめをすべし」「痴漢を歓迎すべし」など、今であれば「失言」として即刻「炎上」となるであろう命題を取り上げ、逆説的にその背景にある論理を明らかにしながら「人間の真実」をあぶりだしています。

この「人間の真実」こそが、「本音」そのものだと思います。

以下に、そのあぶり出しの実例を引用してみます。

「世間はきれいな手でくみ取られた清水のような名声というものを歓迎しません。本当のところ、道徳と名声とは必ずどこかで相反するもので、新興宗教の大繁盛も、道徳としてどこかいかがわしさがあるところが魅力のものなのです。そのくせ一方では、世間は名声のある人間の不道徳行為を口をきわめて非難するのも大好きなのです。ここにあるダークさが売りの映画スターがいて、世間はまさにそのギャング性ゆえに彼を支持していたのに、一度彼の不道徳な行為が明るみに出ると、今度は『私が支持するのは俳優としての不道徳さであって、私生活のヤクザ性ではない。』と開き直って彼を批判し始めます。そこで彼がちょっと自粛して一応世間にお詫びすると、世間は今度は今までのイメージを破られて、『ヘン、あんな意気地のない野郎だったのか』と彼をすっかり見捨ててしまいます。この点、吉田茂氏は見上げたものでした。親米派の巨魁であり、傲岸不遜、人を人とも思わず、最後まで弱気を見せず、インテリ的良心みたいなものをちらつかせたりしませんでした。そして、この個人的スキャンダル性が彼の信用になり、一方では政治的スキャンダルから完全に無縁で終わりました。政治家にとって致命的スキャンダルさえ起こさなければ、個人的スキャンダルなどはへの河童であり、そればかりか、これほど世間の目をくらませ、世間の注目を自分の一等くだらない部分に引き付けて置けるものはないということを、彼はよく知っていたのである。」

これは、肉を切らせて骨を断つ。ということでしょうか。

なぜ、政治家という仕事を選んでいるのかを考えれば、政治家としての目的を達成するためには、「本音」の部分から逃げるわけにはいきません。

逆に、本音から逃げるということは、何か目的があって政治家という仕事を選んでいるのではなく、政治家であり続けることが目的であるといわれても仕方ありません。

目的達成のために本音から逃げずに政治家であり続けるためには、自分自身の個人にかかわる「弱点」を目くらましというして活用するという豪胆さをもち、世の中がその致命的ではない「弱点」いじりに満足している間に、自分自身の本音にかかわる「実績」を確実に上げることが必要となります。

そのためには、「不道徳教育」は「人間の真実」を理解するための必須事項のように思えてきます。

彼の孫である麻生さんの身の処し方はおじいさんへのオマージュなのかもしれません。

 

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