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中国を誤解する日本人

2019年8月26日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

私は、自分自身の身内も含め多くの日本人が、中国そして中国人の力を過小に評価しがちだと感じています。

三国志が好きな日本人は少なくないので、その一方で私と同じように、あの国の底力を適切、もしくは過剰に評価している人も一定数はいるとは思いますが、大方彼らへの評価は厳しいものが多いと感じています。

しかし、考えてもみてください。

日本人の多くは、彼らが日本の技術やブランドを平気でパクると批判しますが、日本は彼らから「漢字」という記録技術をパクっていますし、私たちの「主食」を供給する稲作技術も彼らからパクっています。

日本の歴史においては、一万年以上にわたる長い縄文時代を経て、中国から朝鮮半島を経由して稲作技術をパクることで弥生時代がようやく始まったわけですが、中国ではそのころにはすでに、秦の始皇帝が中国を統一し、中央政権政治を行い、国家単位での貨幣や度量衡の統一、道路整備・交通規制などを行っていたのです。

その後も日本は、律令制度、都の設計など、中国から様々なものをパクりにパクって今があるわけです。そして、私たち日本人は日本の歴史の大部分を中国に対する憧れの姿勢を持ち続けながら過ごしてきました。

逆に言えば、日本人が中国を下に見るようになったのは、長い歴史の中で、日清戦争(1894年)に日本が勝利したほんの100年くらい前に過ぎないのです。

その後、中国は欧米列強、そして日本の侵略を経験し、共産党の一党独裁による経済の混乱があって、多くの日本人が「中国=後進国」のイメージを持つに至りました。

つまり、この中国のイメージは非常に例外的、一時的なものであり、長い世界の歴史の中での彼らのあるべき評価は全く逆なものであるはずなのです。

私が、このようにいくら声を大にして中国の肩を持っても、なかなかこのイメージを払しょくすることが難しいのですが、そのイメージにかなりポジティブな変化を与えてくれる雑誌の記事を見つけました。

かなり前の雑誌の特集になりますが、「ニッポンの中国人」というタイトルで在日中国人に関するかなり突っ込んだ週刊ダイヤモンド2018年7月7日号の特集です。

この記事では特に、日本に住む中国人の「質」が全く変わってきていることを様々な視点から明らかにしており、特に経済的な側面からは、私が声を大にするまでもなく、多くの方が中国人に対するイメージを変える必要性を痛感させられると思います。

以下に印象的な部分を引用します。

「『現在、日本に移住する中国人の動機を例えれば、都会出身の日本人が田舎暮らしを求めて移住するIターンに似ている』上海出身のある在日中国人はそんなショッキングな喩え方をする。『今どき、それなりの中国人ならば、お金を稼ぐために日本にはいかない。中国にいたほうが稼げるからね。もちろん、中国の田舎から日本に移住してくる貧しい層は違うとは思うけど。』」

「『上海のそれなりのエリアでマンションを買おうとしたら、一億円ではとても足りません。ですが、日本なら複数の物件を買える。日本は義務教育や社会保障がしっかりしているし、自然も豊か。だから移住を決めました。』もはや中国人の爆買いは富裕層だけのものではない。日本人が気づかぬ間に大きく変貌を遂げた在日中国人の実態である。」

「中国は王朝が栄枯盛衰してきた歴史から、新陳代謝が好まれます。一方日本は持続性に価値を置く文化。『万世一系の国』ですから。例えば、毎年3%成長が10年見込める事業と、15%成長が3年見込める事業があったとします。間違いなく日本企業は前者、中国企業は後者を好むでしょう。」

多くの日本人がもつ中国人のイメージの悪さの原因として、「マナーの悪さ」がありますが、これについても「例外的、一時的なもの」と捉えるべきだと私は考えています。

というのも、日本人も日本の経済成長後の海外旅行が増加し始めた当時、アメリカの美術館などの庭などに、「犬と日本人はお断り」という立て看板が立てられたと言います。

当時の多くの日本人旅行者が公共の場で平気で立小便をしてしまっていたからです。

また、つい最近までも、パリの高級ブランド店の前に長い列を作ってしまい現地の人々をうんざりさせていました。今はそれが中国人に取って代わられているようです。

日本人もそれを改めるにはかなりの時間がかかったわけで、中国人もそれと同じ時間が必要なだけだと考えられます。

少なくとも、グローバル社会を生きる私たちは、このあたりのイメージをフェアにきちんと持つべきではないかと思います。