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「無茶」と「苦茶」

2016年11月25日 CATEGORY - 代表ブログ

人を見抜く技術

皆さん、こんにちは。

久しぶりの麻雀の櫻井章一氏の著書のご紹介です。

私は麻雀は一切やらないし、できないのですが、この人の本は、人間の奥底までも研究しつくしたような視点が見事で非常に好きです。

今回ご紹介するのは、「人を見抜く技術」です。

この本の中で、「無茶」と「苦茶」の違いの指摘がありました。

著者は、「無茶」は自分の限界に挑戦する中で普段の自分にはない「火事場の馬鹿力」につなげることができるから、推奨しています。しかし、「苦茶」は一見それと似ているようでも、必ず「人さまへの迷惑」や「独りよがり」を伴うから駄目なのだと言います。

だから、学校教育、特に小学校教育においては、この「無茶苦茶」からいかに「苦茶」を取り除き、「無茶」を適度に経験させるということが重要となる「はず」なのです。

ですが、実際には学校教育の現場では、とにかく「無茶」をふくめて排除するということが最優先事項として行われる結果、「苦茶」の結果になっている現状があるように思います。

「海や川には近づいてはいけません。」「あそこに登ってはいけません。」など、幾多の制約を作ることで子供たちを縛ってしまっています。著者は、このことをもって、大人たちが自分の責任を放棄してしまっていることの表れだと指摘します。

親は親の責任を果たさず、なんでも他人のせいにする、だから、学校は事前に予防線を張ることで、上記のような制約作りにはげまざるを得ないというわけです。

先日、たまたま子供の小学校主催の道路安全ウォークラリーなるものに参加しました。それは、学区の中の「駆け込み110番」のシールを掲げてくださっているお宅をチェックポイントとしたウォークラリーなのですが、各ポイントに子供たちに向けた身の回りの安全に関する次のようなクイズが設定されているのです。

「もし君が家で一人で留守をしているとき、外で遊びたくなったらどうする?」

1. 一日中家にいる。

2. 夕暮れまで、庭で元気に遊ぶ。

もちろん、答えは1.で、私の子供も、自信をもって1.を選んだのですが、私は正直う~ん、とうなってしまいました。

日本の教育環境の現状を見ると、なかなか 2. ですとは言えないことは分かりますが、どうしても、著者の指摘する「大人たちが自分の責任を放棄してしまっていることの表れ」という言葉が心に刺さってしまいました。

 

 

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