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人工知能はなぜ椅子に座れないのか

2022年7月6日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回、「仕事消滅」という書籍を紹介して、AI・ロボットが人間の能力を凌駕する「シンギュラリティ―」以後の世界の様子を具体的にみることで、その先にある未来を楽観視する視点を見つけました。

とは言え、AI・ロボットという分野は私にとって「ブラックボックス」であり、完全に仕事消滅の恐怖から自由になったかと言えば心のどこかに不安が残ったことは否めません。

その不安を極力排除するためにもう少し突っ込んでこの分野を覗いてみようと思い、前書で参照されていた「人工知能はなぜ椅子に座れないのか」という本を読んでみることにしました。

著者は「数理生物学」という数字を用いて生物を理解するという分野の研究者で、「科学技術がどれほど進歩しても、人類という『自然現象』は科学技術によって滅ぼされるほど、単純なものではない」という信念を持っておられます。

前書を読んだ後も私の心に残った不安とは、AI・ロボットが大方の人間の仕事を代替した後、たとえ生きていくための所得は得られたとしても、「生物」としての人類の生き方、生きる意味を見失ってしまうのではないかという疑義であり、この疑義に著者のこの信念が答えを出してくれるのではないかと期待して読み始めました。

本書を読んでその答えの片鱗が見えたような気がします。

それは、AI・ロボットは「何が仕事か」ということを理解して、私たち人類から仕事を奪っていくわけではないということです。

彼らがやっていることは「最適化問題を解く」ことで、そのことにかけては私たち人間よりもずっと得意であり、尚且つ休みなしでそのことを続けることができます。

しかし、どの分野に最適化問題を設定して、その問題を解き始めることについては、現時点で全く行うことができないし、今後もできるという確証は得られていない様なのです。

この「問題を設定する」という力を手にするには「意識」が必要になります。

「意識」とは自分自身が「~したい」ということを認識する力(メタ認知能力)のことです。

これは、「あ、今自分はお腹がすいているから、何か食べなきゃ」とか「あ、今自分はつかれているから、椅子に座らなきゃ」といった自分の「欲望」を認知して、それを解消するための課題設定をする力です。

本書には次のような興味深い記述がありました。

「コンピューターはどんな計算でも行うことができますが、どんな計算をするのかを示すアルゴリズムは人間が教えなければなりません。これと同じようなことは、生物の群れの中にも発見されています。『下等生物』と呼ばれていた生物種は、一匹一匹は高度な知能を持っていないにも関わらず、群れとして協力行動を行うことで、高度な知能が実現されています。例えばシロアリ。彼らは人間の建築技術をもってしても再現するのが難しい様な複雑で効率的な地下都市を群れの協力行動によって建設すると言われています。」

この事例を確認してハッとしました。

例えば、人類初の「ワクチン」は天然痘ワクチンの開発秘話として、イギリス人医師のジェンナーが、「乳搾りの女性は弱い天然痘(牛痘)にはかかるけれど、天然痘自体にはかからない」という事実に着目して、牛痘にかかった人間にできる水膨れの中の液体によってわざと弱い天然痘(牛痘)に感染させることによって、重い天然痘から守ることができるという仮説を立てたというものがあります。

ジェンナーはこの仮説を立てた時、「水膨れの中の液体」のことも「人間の体の中にある免疫システム」のことも何ら分析できていたわけでもありません。ただ、「天然痘から身を守る」という問題解決への「欲求」を満たそうと「仮説」を立てて、それを検証し、成果を手にしただけです。

このように、私たち人類は、自分の体の中にあるシステムがどのようにそれを実現しているかすらほとんど分からずに「病気にかからない」というメリットを享受していますが、そのことによって恐怖はほとんど感じていません。

また、私たちよりも優秀な建築家である「シロアリ」が自らの能力を自覚して私たち人間に歯向かってくることを決して心配しません。(別の意味で厄介な奴らですが)

人間に変わって仕事をするAI・ロボットもそれと同じ扱いでいいのではないかというのが、私が本書から得た知見です。

私たち人間が、「欲望」と「問題解決への意識」を持ち続けさえすれば、今後どれだけAI・ロボットが「最適化問題」の解決で人間の能力を凌駕したとしても、「あ、○○だから、コンピューターに解決させなきゃ」といった具合に余裕で彼らと付き合っていけるような気がしてきました。