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入試改革は歴史上何度も延期されている

2019年10月14日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

2020年の大学入試改革における英語民間試験導入に関するニュースを継続的にご紹介してきましたが、前回の記事でついに、文科省の強い圧力によって各大学の民間試験の利用の有無が明らかにされたという日経電子版の記事をご紹介して、文科省の各大学に対する脅しともいえる手法に対して強い憤りを表明しました。

この件に関連して非常に興味深いAERA.dotの記事を見つけました。

この記事では、このような文科省の手法は、実は例外的なものにすぎず、過去の入試改革において文科省は「聞く耳を持っていた」という事実について非常に細かく書かれています。

この記事の趣旨は、

「大学入試の歴史をふり返ると、国立大学共通第一次学力試験(共通一次)導入という大きな改革があったがそれは、『延期』『見直し』の連続だった。」

というものです。以下、その経緯について非常に詳しく書かれていますので、ほとんどそのまま引用します。(一部、元号表記と西暦表記が混在していて分かりにくいので西暦表記に統一しました。)

現在のセンター試験の前身にあたる共通一次の構想が初めて浮上したのは、1970年ごろである。国立大学協会の会合で、『全国統一テスト』が議題にのぼっている。大学闘争で東大入試が中止になった1969年からわずか1年後というのも興味深い。このときは、『全国統一テスト』の実施時期ははっきりと示されていなかった。

◆関連新聞記事

「大学入試全国統一テスト 国大協が前向き姿勢」(1970年6月28日)
「共通の一次入試実施へ 国大協の方針」(70年11月27日)

国大協は71年時点で、「75年度から」という見通しを立てている。自民党の大学教育関連部会も同様のスケジュールを示した。

◆関連新聞記事

「『共通試験悪くない』75年メドに検討へ」(71年6月24日)
「国立大学入試の共通化 75年度実施めざす 自民部会」(72年8月12日)

73年、文部省は76年度の「国立大学共通第一次試験」実施に向けて、国大協に調査、研究の委託を行った。ここで、75年度実施というメドが崩れてしまう。1回目の先送りだ。

◆関連新聞記事

「国立大の第1次入試 76年度から共通化 文部省が方針」(73年9月9日)
「国立大の共通一次試験 国大協が中間報告 76年度実施へ見通し」(74年4月23日)

しかし、すぐに76年度実施が不可能となり、早くも2回目の先送りとなった。国大協の調査が間に合わなかったのである。この調査は文部省から委託されたもので、各大学への入試改革に関するアンケート調査を指している。国大協はこの調査をもとに報告書をまとめて、大学や高校に意見を聞いて、問題点があれば検討するという段取りだった。しかし、調査に時間がかかってしまい、入試そのものを延期せざるをえなくなったのである。

◆関連新聞記事

「国立大入試共通テスト『51年度実施』消える 国大協の準備間に合わず」(74年8月16日)
「国大協側の作業の進み方と文部省の期待との間にはズレがあった」(74年8月16日)

そして、77年度以降の実施へと軌道修正した。文部省にすれば、76年度から共通一次を導入させたかった。73年度からの新学習指導要領で学ぶ高校生が初めて受験する年だからである。新指導要領と新入試制度のリンクを考えていた。しかし、大学や高校から、拙速な動きを批判する意見があがっている。

◆関連新聞記事

「国立大の入試改革 実施は77年度以降に」(74年9月15日)
「文部省は『改革の絶好のチャンス』とみて入試改革の76年度実施を希望してきたが、『時期尚早』という大学、高校側の意向が強い」(74年9月15日)

75年に、実施時期のメドがようやくついた。77年度は無理、78年度を目標に掲げたのである。

◆関連新聞記事

「国立大入試 78年度から一本化 文部省、方針固める」(75年3月27日)
「大学入試 共通一次試験、実施の方向 78年度を目ざす」(75年4月20日)

ところが、その半年後、また雲行きがあやしくなってきた。この時期になっても文部省と国大協の歩調は合わなかった。

◆関連新聞記事

「共通一次試験にゴー 78年春実施は微妙」(75年11月14日)
「78年実施は可能か 遅れる想定で準備」(76年2月27日)
「国大協側の作業が必ずしも文部省の希望するペースで進んでおらず、さらに共通入試についても一次と二次試験の組み合わせや二次試験のあり方をめぐって残された詰めが多く、最悪の場合は実施が79年春にずれ込むことも考えられる」(75年11月14日)

結局、78年度の実施は準備不足ゆえ、あきらめざるをえなかった。とうとう3回目の見送りである。そして、79年度実施という線で動くことになり、試行テストなど準備を進めた。

◆関連新聞記事

「国立大共通一次試験 79年度から実施」(76年11月19日)
「国立大共通一次テスト 来年12月下旬に 大学局長答弁」(77年3月15日)

これで79年度からの共通一次実施が正式に決定する。実施の2年前の話だ。しかし、これにて一件落着、万々歳とはいかなかった。肝心の実施日程が揺らぐことになる。

◆関連新聞記事

「共通一次テスト12月実施 悩む冬季スポーツ選手」(77年3月28日)
「『共通一次』繰り下げ検討 高校側要求で動く」(77年10月25日)
「共通一次試験繰り下げ 国大協も受け入れ」(77年11月16日)

共通一次の日程は当初、12月下旬となっていた。これに対して高校が反発する。全国高等学校長会は文部省に次のような要望を出した。

「高校のカリキュラムを圧迫し、高校生にとって試験の重圧が長期化する、文化祭や体育祭など重要な学校行事ができなくなる、そのため共通一次の日程を1月中旬以降にずらしてほしい。」

文部省はこれを聞き入れた。こうして、79年1月13、14日に最初の共通一次が行われた。 

非常に長々と、この経緯について引用しましたが、とにもかくにもこの流れを逐一見ていくと、当時の文部省と実施する国立大学、そして受験生を抱える高校とが、本当の意味での議論を積み重ねて最終的な「実施」に落ち着いたことが分かります。

もしかすると、今の政府・文科省はこれを「混乱」と考え、かつてのこのような経緯を二度と起こさないように、強い指導力で「実施」に導こうとしていると言われるかもしれません。

しかし、私はそれは当たらないと思います。

なぜなら、当時のこれは「混乱」と呼ばれる状況にあったかもしれませんが、しかしそれによって確実に「修正」が行われたのに対して、現在の、文科省は、多くの人が必要と考える「修正」はほとんど行われずに、スケジュールを予定通り進めているのみだからです。

しかも、共通一次導入当時は、国大協もその改革の趣旨自体には大方理解を示した上で、実施のタイミングについて文部省と意見が合わなかっただけだったのにもかかわらず、文部省がこれだけの譲歩をした事実とは非常に対照的です。

教育の基本的な部分から外れてしまっていると多くの人が考えるような政策を反対意見を抑えて進めることを、「強い指導力」と評価してしまったら、この国の教育は終わってしまいます。

これこそ、後の世から見れば「混乱」以外の何物でもありません。

こんな「混乱」に巻き込まれている受験生たちがどのような気持ちでこの時期を過ごしているのかを考えると、やるせない、申し訳ない気持ちになってしまいます。

 

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