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国語のできる子どもを育てる

2017年4月21日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

私は、常日頃から幼児教育は国語教育に限ると思っています。

そして、自分の子供の教育についても、何を除いても日本語でものを考えることを鍛えさせることしか眼中にありません。

なぜなら、日本語でものを考えることができる、すなわち、「思考の基礎」を見事に作り上げることができれば、その上には、英語でもなんでも、簡単に乗せることができるようになると考えているからです。

このことについては、過去のブログ記事などでも、コンピューターのOSとアプリの関係に見立てて何度もお伝えしてきています。

先日、子供たちの国語の力を育てるために具体的にどうしたらよいかを指南する「国語のできる子どもを育てる」という本を読みましたのでその本について、今回から三回にわたって書いてみたいと思います。

私がこの本をここでご紹介させていただこうと思った一番の理由は、日本人にとっての国語である日本語の存在の理解が私と全く一緒であったことに感動したことです。

ですので、まず第一回目の今回は「日本人にとっての国語である日本語の存在の理解」を著者の言葉と私の考えを絡めながら明らかにしたいと思います。

まず、著者は次のように述べています。

「読者の皆さんに考えていただきたいことは、国語は何のために勉強するのかということです。テストがあるから、入試があるからと、それぞれいろいろな動機があるでしょうが、一番大切なことは、言葉によって思考し、表現することで、私たちは一つの世界を作り出しているということです。それは、新しい明日の世界の創造、すなわち子供たちが希望をもって生きていける現実世界の建設に結びついていくものでもあります。」

まさに、私が常に申し上げている日本人にとっては、母国語である日本語が「思考の基礎」である、過去のブログでいえば、コンピューター自体を動かすための「OS」であるとの説明と一致しています。

逆に言えば、日本人にとっての英語は日本語によって作られされた現実世界を外国にとどける役割、そして同時に、英語を「思考の基礎」とする外国人によって作られた現実世界を受け取る役割を担う「ツール」に過ぎないということになります。

ですから、日本人特に子供にとっては、日本語と英語を同列に考えるなどということは決してあってはいけないのです。

もう一節、著者の日本人にとっての日本語に対する理解がより一層鮮明になる部分を抜き出します。

「学校時代はすぐに終わり、テストに悩まされたり、誰かに勉強しろと言われたりすることもなくなりますが、それからが本当に言葉を使って生きる、テストではない実人生の本番です。その時に使う言葉の質が、その人の人生とその世界の質を決めて行くことになるでしょう。読み書き、すなわち国語を学習するということは、それと直結しているのではないでしょうか。」

自らが使う言葉の質が高まれば、その上にいくらでも簡単にアプリを載せることができるのです。

その質を高めるために最も重要な幼児期の重要性に、まずは大人が気が付いてあげなければならないと思います。

 

 

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