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外国人留学生の怒り

2017年9月11日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回の記事「留学は不利なのか?」では、日経電子版の記事から、グローバル化がこれほどまでに叫ばれている中で、企業の採用姿勢が日本人の海外大学への留学帰国学生に対して非常に厳しいという現実について考えてみました。

今回は、同じく先日(2017年9月7日)の日経電子版の記事から日本へ留学した外国人学生に対しての日本企業の採用姿勢について考えてみたいと思います。

「日本政府は外国人留学生数を2020年までに30万人に増大させるという計画を掲げている。これは国の『グローバル戦略』展開の一環と位置付けられており、日本企業への受け入れ拡大を進める狙いがあるとされている。ところが先日、外国人留学生から就活について強烈な不満を聞かされた。日本で就職しようとすると、エントリーシートから始まり、適性検査まで一連の就活プロセスが日本語で求められたそうである。英語ができ、多様性に富んだ人材を確保するため留学生の受け入れを拡大すると日本政府は言っていたのに、こうした就活制度はおかしいのではないかという不満表明だった。」

「日本の就活制度は新卒最優先、そのため大学4年生になると、授業をほっぽり出して就活に取り組むのが当然のようになっている。エントリーシートに始まり、瞬発力を試すだけのような適性検査をクリアしなくてはいけない。日本人学生にも大変なこの一連のプロセスを外国人留学生に課しているとは驚きである。猛烈な怒りを表明した留学生は日本語もそこそこに堪能である。しかし、この就活プロセスを理解し、面接にまでこぎつけるのは至難の作業だったようである。」

う~ん。正直、この記事に対しては前回の記事に対する感じとはかなり違う「複雑」な感情を抱いてしまいました。

具体的には、「日本の企業の採用の仕組みが日本的であり自分たちに合わないとして批判をする」という外国人留学生の姿勢についてです。

もっとも、日本の独特な就活事情についての問題については、まさに前回の記事「留学は不利なのか?」にて議論しました。

ですが今回私は、そのこととは全く別の次元で複雑な感情を抱いてしまったのです。

それは、外国人留学生のこの怒りの反応が、実に「グローバル的」であって、「国際的」ではないと思ったからです。

グローバル的であることと国際的であることの違いについては、いままでに「『国際化』VS『グローバル化』」などの記事で何度も議論してきていますが、今回も少しだけ解説します。

グローバル的であることは、世界を一つの観点で統一的にまとめようとする姿勢です。まさに、現在の欧米特に英語圏を中心とする考え方で統一されるべきとするものです。

それに対して、国際的であるということは、相手が自分とは異なる存在であることを認め、尊重した上でコミュニケーションをとっていくべきという考えです。

日本に留学に来た外国人学生は、少なからず日本の言語・文化を学ぼうという考えがあったはずです。そして、日本の大学を卒業した後、日本で就職する場合には、日本の仕組みで選考が行われるのはあたりまえです。

もちろん、日本人の就活生にくらべその仕組みにおけるハンディキャップを負うことになるのは当然ですが、そこは日本企業が彼らの日本人にはない能力を加味してフェアに選考されることになると考えれば良いはずです。

これこそが、日本企業と外国人留学生の間における「国際的」な取引と言えるでしょう。

ですので、この問題の本質は、そのようなルールを留学生側に丁寧に説明することをしていない企業側の「国際性」の不足と、一方的に日本企業が自分たちに合わせるべきだと怒りをぶつける外国人留学生側の「国際性」の不足という双方の問題だと私は感じました。

この問題は「グローバル的」にではなく、「国際的」に両者が歩み寄って、解決していってほしいと思います。

 

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